すべてのフリーランサーに伝えたい、一人で戦うための自己防衛的営業術(Vol.1)
40歳で異業種から独立。まったくコネも実績もない状態から一人、コツコツ営業活動を続けてきた株式会社エーアイプロダクション代表・伊藤秋廣が、自身の経験を交えながら、その営業術について語ります。
――独立当初、何かコネとかなかったのですか。
僕の場合、編プロや出版社に在籍していたわけでもないし、2世タレントでもない(笑)。ごく普通のサラリーマンで、強力なコネクションなどまったく存在しない状態から独立を果たしましたから、すべてイチから顧客開拓をするしかないと覚悟を決めました。
サラリーマン時代に副業でおつきあいさせていただいていた出版社さんに頼み込んで、少し仕事量を増やしてもらいましたが、それだけでは充分ではありません。子どももいましたし、家のローンもあったんで、まあ、必死ですよ。愛する家族を路頭に迷わせるわけにはいかないという使命感はありました。
――独立当初、どのように営業していたのですか。
まあ、ほとんど自慢できる実績がないわけですからね。副業でやっていた記事もたいしたことはない。タウンガイドの店紹介の小さな記事とか、ホストクラブやキャバクラ嬢のインタビューとか、そんな程度。実績がなければ営業的に苦戦するのはわかっていました。
まあ、一応、サラリーマン時代は売れないながらも営業マンの端くれだったので。こうなったら“はったり営業”しかないと。ならば、それっぽい屋号とドメインと名刺だけは必要だってことで、なるべく低予算でそこだけ投資して営業体制を整えようと考えました。
そうそう、名刺は最初から2種類作りましたよ。ひとつは「代表」という肩書、もうひとつは「編集・ライター」という肩書のもの。営業のときは代表名刺でトップ営業(笑)。かといって、取材のときに代表が現場に出向くのも、相手が引いちゃうかと思って、使い分けていました。これは今でもそうですね。
ドメインは自分で取得して、知り合いのデザイナーに3000円でロゴを作ってもらって、これまた自分で簡単なホームページを作りました。名刺は印刷会社に頼みましたよ。「エーアイプロダクション」という屋号はお察しの通り、自分のイニシャルからとりました。運良く、当時はこのURLを使用する、同名企業も存在していなかったので、スムーズにオリジナルの名称を獲得することができました。まあ、幸先が良いなーって思いましたね。
もう必死でしたよ。書き物仕事がある会社はどこか?思いつくのは出版社、あるいは編集プロダクションくらいですけれど、でもこんな未経験のフリーランサーなんて使ってくれるわけがない。だからもう大手は最初っからアタックしなかったですね。作品もってこいとか、サンプルよこせとか、そんな話になるし、すぐに仕事が欲しかったんで、何度も足を運んでご機嫌とったりする時間はないですから。
すぐに仕事になるようなところはどこか?そこでフォーカスしたのが、立ち上がったばかりの制作会社や、ライターや編集者を社員として急募している会社を、求人票なんかでピックアップして、かたっぱしからメールを送りました。
――実績がないのにどうやって戦ったのですか。
実績の代わりに、何を売りにすべきか?こりゃ、対応力かなって思って、これまでの社会経験や営業マンとしての経験をアピールしました。50通くらいメールを送ると3社くらいはかえってきます。アタックメールもどんどん工夫して、なんか会ってもいいかな?って思わせるような文面を作りましたね。
一回会ったら、こっちのものです。絶対にモノにしてやる!ってグイグイいきました。大人としての信頼性を前面に打ち出しましたね。本当に営業マンっぽい。スーツ姿だし、髭も剃っているし、どこからどう見ても、普通のおじさんビジネスマンにしか見えない。ぜんぜんクリエイターっぽくない。そんな姿が、彼らの目には新鮮に映ったのかもしれません。
独立の経緯を話すと面白がってくれて、じゃあ使ってみようかって話になる。どんな仕事でもやります!頑張ります!って、チャンスをつかんだら絶対にはなさない。そんなイキオイで営業活動を重ねていきました。
当たり前ですが、明るく話しやすい、使いやすい人ってイメージを作りましたね。お客様は僕より年下の方が多いですから、“使いづらい、厄介なおじさん”ではNG。そこはすっごく注意を払いました。
自信は見せなくてはいけませんが過剰になってもいけない。経験が浅いのにやたら自信がある人なんて信用できないし、かといって自信なさそうな人には発注なんかしてくれない。そのバランスは大切です。自信を見せるより、情熱を見せるというくらいがいいのかなと、そんな心持ちで営業をしていました。
いざ、お仕事をもらったら、もう全力全開ですよ。せっかくチャンスをもらったのですから、絶対にハズせない。ハズしたら、もう次はないですから、とにかく細心の注意を払いながら仕事に取り組みました。当たり前のことですがメールは即返信、折り返し電話も速攻。きちんと取材現場をこなして信頼を重ねていきました。
だんだん信頼を積み重ねていくと、僕のクライアントは同行せず、ディレクションも任しちゃおう、直接現場に一人で行って対応してくださいって話になってくる。さっきもいったように新しい会社とか、新しいプロジェクトに潜り込んでいったので、クライアントも僕も経験が浅い。でも、僕はもう40歳を超えた大人でしたし、営業職を経験していたから、それなりにお客さんの扱いも知っている。その部分は僕がフォローしますよと、チームとして一緒に、頑張っていきましょうという雰囲気を作りながら、仕事の幅を広げていきましたね。
もちろん、新規顧客へのアタックは並行して続けていましたよ。ちょうどWEBコンテンツの需要が急激に高まりをみせていた時期でしたから、仕事がありそうな会社にアタックすると何らかの反応はある。どんな仕事も選ばずにトライして、一度、それをつかんだらはなさない。そんな感じでコツコツお客さんを増やしていきましたし、なんというかお客さんと一緒に成長をしたというとおこがましいのですが、育てていただいた感覚でしたね。
一定の仕事量を確保するようになってから、少し営業戦略を変えていきました。なぜなら、世の中にライターを名乗る輩が山ほど現れてきましたから、価格競争にさらされないよう、対策を打たなければ…と考えたからです。その辺の話は次回ということで。(Vol.2に続く)