今までの人生にない強烈な原体験を通じて、ジブンの生き様を決められた旅(ひまつぶしにみてください)
世間体や世間の常識が基本的に嫌いなので、「何か人と違うことしたい」と昔から思っていました。もともとは海外での長期インターンを計画していたのですが、治療を要する病気を患ってしまい留学という目標を一度は頓挫しました。身も心も苦しい時期でしたが、「普通の人と同じことするな!」と考えを改め、入学当初からの憧れであった一人でのバックパックの旅を始めることにしました。
バックバックのルートに含んだのは8か国地域(香港→中国→ベトナム→カンボジア→タイ→ラオス→ミャンマー→マレーシア)。
移動手段として「乗り合いバス」を用いました。その理由として、バックパッカーのバイブル書でもある『深夜特急』(沢木耕太郎)の作者のように、私自身も乗り合いバスだけで大陸を渡り、「自身の身体の中に地球の距離計」を作ってみたいと思ったことがきっかけになっています。
基本的に毎日が挑戦の連続といったとこです。
乗り合いバスで目的地ではないところで途中下車させられて「ここからどうすればいいの?」みたいなカオスな洗礼もありますし、ヨダレだらだらの野良犬のハーレムに囲まれたこともありますし、トイレに紙がなくてバケツの水と素手でお尻を拭くという原始的な体験をしたことでしょうか。今は、理不尽な環境や条件に出くわすと、それすらも「ラッキー」と思ってどうクリアしていくかという発想になってしまいます。
よく「自分さがしの旅」といって世界を旅する人もいます。自分なんていくら探したって見つかりません。複数の「ジブン」がある程度合致しないと人間は生きていけません。「自分さがし」っていうのはこういうことだと思うのです。自分探しをする人って「いろんなジブンの中のほんとうのジブン」を探そうと旅に出る。そして半ば無理やりに「本当のジブンはこれだ」というふうに一つの自分を自分で規定してしまう。私を自分で一つに規定するという考え方だと、自分探しでは増えすぎた自分を一つに規定できないのです。常に変化が激しい世界において自分は増えていく一方です。
海外経験での経験は、そんな増えすぎたジブンを「無くす」ことだと捉えています。連続的な非日常性を経験していく中で、無意識のうちに行っている行動、染み付いている考え方を、自分から取り外してみる、「ジブンなくし」をすることで、本当の自分(新たな自分)を見つけることができると思います。
結局、バックパックにいって人生変わったか?と問われれば、私の答えは「変わっていない」です。しかし「今まで以上にジブンという存在がはっきり見える」と言えます。それは「ジブンが進みたい道、ジブンが成し遂げたいことを見つけることができた」と言い換えることもできると思います。