My Dream of Asia
私には、夢があります!
現在SabaaiProjectの医療事業として、日本の東証一部上場企業様と手を取り合い、東南アジアを中心にAEDの普及に努めています。
このAEDを一日でも早く、一台でも多く、まだ普及が進んでいない地域に設置し、本来なら救える命を一人でも多く救いたいという壮大な夢です!!
要は、人の命を救う一般人でも扱える医療器ですね。
最近では、日本でもよく見かけると思います。
日本では、善意の行動として、一般人の使用が許可されております。
同様に、2012年は韓国で、2013年6月には、台湾で法体制が整ってきました。
一方で、東南アジア諸国では、何処を見渡しても、AEDはまだまだ空港以外で目にする機会は少ないです、、、
だから、私達は東南アジア諸国に、人の命を救う事が出来るAEDを普及させたいんです!
では、何故、私がこの様な考えに至ったかと言うと、、、
実は、私の目の前でこんな事件がありました。
その時の事は今でも鮮明に覚えています、、、
あれは、2012年の年末に、飲食事業で3回目のカンボジアを訪れた際、経済発展により、年々交通量が増えている事もあり、
私の目の前で、車とトゥクトゥクによる接触事故がありました。
(右側の赤いのがトゥクトゥクです。)
私は、前職の関係で上級救命救急士認定を受けているので、すぐに、胸骨圧迫を試みて、救急車と、AEDを要請しました。
ただ、資格はあるものの、目の前で、血を流しながら、意識を失っている、一人のカンボジア人男性を前に、私はパニック寸前でした。。。
ですが、人の命が掛かっている事、そこは、何とか勇気を振り絞り、懸命になり振り構わず、心肺蘇生を続けていました。
ですが、都心部の交通渋滞は予想以上で、救急車も一向に来ませんし、AEDも来る事はありませんでした。
あまり時間の感覚は覚えていないのですが、おそらく40分位、救命活動を、続けていた頃にようやく、救急車が駆けつけ、男性は運ばれたのですが、おそらく、あの感じだと息を引き取った可能性が高いのではないかと思っています。
私は、自身の無力さを痛感しました。
同時に、「何故、もっと早くAEDを持ってきてくれなかったんだ!!」
と、周りにいる野次馬に声を荒げ伝えました。
ですが、みんな困惑した様子です。
そう、当時のカンボジアにはまだ、AEDという概念そのものが無かったのです。
罪悪感に苛まれながらも、「東南アジア諸国にAEDを普及し、彼らの命を救う事が出来るのは、私しかいない!!」
「もう、大好きな東南アジアの人々をこんな事で失いたくない!!」
そう思った私は、すぐに日本に戻り、日本のAEDメーカーにこの事を伝えるべくDMを打ちまくりました。
ですが、私の思いとは裏腹にほとんどの会社は、会ってもくれなかったのです。
ついに、最後の6社目が業界でも最大手の東証一部上場企業である、日本光電さんだったのです。
正直、一部上場企業が私の様な何処の馬の骨か分からない人間を相手にするとは思えなかったので、最後まで避けていました。
ですが、もう頼る所はここしかありませんでした。
祈る様な思いで、思いのたけをDMに綴りました。
3日後、なんと、日本光電さんからメールの返信がありました。
「一度、お会いしてお話を聞かせて下さい。」
私は、すぐさまアポイントを取り、日本光電さんの本社に足を運びました。
結果として、一番心があり、きちんと対応してくれたのが、日本光電さんだったのです。
私のカンボジアで経験した事、命を救いたいという熱意に共感して頂き、その翌月には東南アジアでの全権限を持っている日本光電シンガポール支社の社長様と、具体的な話を進め、共に、アジアの医療の現状を変えましょうという誓いを立てたのです。
「これで、ようやく東南アジアにAEDを普及出来る!」
私は、意気揚々と、フィリピン、ベトナム、カンボジア、インドネシア、マレーシア等、
東南アジア諸国の人脈を頼り、営業と啓蒙活動を開始しました。
ですが、その活動が始まった矢先に大きな壁が立ちはだかったのです。。。
それは、何かと言うと、AED使用における東南アジア諸国の見解や法律が全くの未整備だったのです。
というか、そもそも保健省の方ですら、「AEDって何??」というレベルなのです。
つまり、善意の行動であるAEDの使用ですが、その認識が無い国で蘇生活動を行うと、いきなり服を脱がせて、訳の分からない装置で大きな電気ショックを与える訳ですから、あたかもとどめをさしたかのような風評が、立つ事もしばしばあるのです。
(本来、AEDは必要な方にしか作動しません。)
これを回避するには、2つしか方法は無いです。
1つめは、国民全員がAEDは善意の医療行為という認識を持ってもらう為の地道な啓蒙活動。
2つめは、東南アジア各国の政府が、日本や韓国同様のAED使用における見解を示して頂く必要がある。
ただ、1つ目は私の様な一般人でも時間さえあれば可能だとして、2つ目は誰がどう考えても、
一般人の私では、不可能な事です、、、
例えるのなら、サッカーのサの字も知らない、普通の子供が、日本サッカー協会に出向いて、サッカーのルールを変えてくれと言っている様なものです。
しかし、私はその時どうしても諦める事が出来なかった、、、
土佐の下士であり、落ちぶれた脱藩浪士の坂本龍馬が自らの志を諦めず、日本全国を周り、薩長の大物を引き合わせ、日本全国の大物を動かし、大政奉還を成し遂げた様に、、、
自分自身を坂本龍馬に準えるのは、あまりに烏滸がましいですが、、、
私は、どうしてもこれだけは、譲る事が出来なかったのです。
「こんな儲りそうにも無いビジネス辞めなよ。」
「そろそろ引き際じゃないかな。」
「そもそも時期が早すぎるんだよ。」
周りの人は、殆どこんな感じで、冷ややかでした。
でも、私は「命の価値に早いも遅いも無い!!」
意固地なほど、諦めなかった。
いや諦めたく無かったのです。
そして、中々前に進まなかった医療事業は、今回の出張で少しだけ、夢への切符が見えてきました。
あれから、1年経ち、ようやくその啓蒙活動が1つの実を結ぼうとしています。
今回、日頃お世話になっている、カンボジア上院議員Mr.Santoからご紹介頂いたのが、
保健省に属する上院議員・カンボジア国務長官のDr.Seng Hengでした。
(写真暗くてすいません。)
通常では、まずお目通りする事すら叶わない、まごう事なき、カンボジア政府の高官にあたる方です。
緊張の空気の中まずは、私の方から自己紹介の後、
下記の項目を説明しました。
・日本におけるAEDの普及状況
・世界におけるAEDの必要性
・ASEAN諸国の普及状況
・カンボジアでの普及状況
・AEDの詳細、使い方、安全性の説明
・カンボジアの救える命を一人でも多く救いたいという情熱と志
・今、この瞬間にもAEDがあれば助かる命があるという事
・安倍首相が来られたこのタイミングだからこそ、大きな啓蒙活動に繋がる
・私達の方でも独自に広告媒体等を介し啓蒙活動を行っていく
一つ一つ丁寧かつ情熱をもって質疑応答を繰り返しながら、上記を伝えた上で、下記を率直にお伝えしました。
・善意の行動であるAED使用に対して、保健省の見解を早急に示して欲しい
・保健省が見解を示さない限り、AED普及が進まず、日本人や欧米人は安心出来ない
・私達の啓蒙活動を全面的に応援して欲しい
これに対し、Dr.Seng Hengからは下記の意見がありました。
・あなた達の熱意とお話は全て理解した
・安倍首相が来られた時のセミナーにも出典するほどの医療器だから、見解を出すのは比較的容易だろう
・まずは、私達(保健省の高官達)にAEDの使い方を教えてください
・その上で、安全性に問題が無ければ、保健省からの見解を示します
・また、クメール語のアナウンスでなくても良いからAEDを1台貸し出して欲しい
このDr.SengHeng からの提案を私達は、全力で遂行し、これからカンボジアを皮切りに東南アジア諸国にAEDを普及していきます!
私の様な、一般人でも夢を諦めなければ、カンボジアの医療の歴史を変える事が
出来るかもしれない!
夢が叶うかもしれないのです!!
正直に申し上げて、まだまだこの医療事業で利益が出ているとは言い難いです。
ですが、私を突き動かしているのは、
あの時、助けられなかったカンボジア人の事、、、
もう二度と、目の前であの様な人を出したく無いという一途な思いだけです。
利益は、愚直に誠実に取り組めば必ず後から付いてくる、私はそう信じています!!
地道な活動ですし、まだまだ道のりは長いですが、なんとしても叶えたい私の夢、、、
私の海外事業の一環であるこの取組みについて一人でも多くの方が賛同頂き、応援してもらえると嬉しいです!