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『鬼滅の刃』とOfficial髭男dismと「内省」のこころ

プロフィールページ
にも書いていますが、
『鬼滅の刃』(アニメの方) と Official髭男dism
には、私的には非常にわかりやすい、とある共通点があります。

両者とも商業的に大きな成功を収めているところですが、
「なぜ好きか」という問い方なら、
ファンが100名いれば、100通りの理由でもって答えるでしょう。

翻って、プロデューサーサイドは、
「今、世間で求められているものは何か」
と考えるでしょう。

今、日本では何が求められているのか(まあ、色々あるとは思いますが…)


他でもない、Official髭男dismのボーカリストの藤原聡さん自身が言っているように、

「(商業的な成功、売れる、ことは確かに大事ではあるけれども、それよりも)
 僕たちが伝えたいこと、というのがあって、その価値観みたいなものを伝えるのが、
 まずもって大切」

という、ある意味、何かを創造する人々にとってはしごく当たり前でいてなお難しいスタンスが
売り手のチーム全体に浸透していることを感じます。

また、鬼滅の刃のプロデューサーの一人はこう言っています。「(鬼滅の刃は)漫画そのものが非常に面白い。(中略)敵となる鬼側にも悲しい過去がある。その人間ドラマに魅力を感じた」(プロデューサーの高橋祐馬氏)。
さらに、別のエピソード-:
「映像配信サービスでの連続放映は、第1話の再生回数が一番多くなるのがセオリー。しかし鬼滅の刃は話数を重ねるほど再生回数がどんどん増えていった。」
ストーリーの中に、日本の10~40代(!)の、特に女性、が没入できる何らかの共通感情(のようなもの)が、溢れている。だからこそ、芋づる式に視聴者・ファンが増えていったわけです。
しかし、制作にかかわった方々は男性が多く、確かに売るための「仕掛け」はたくさん用意なさったとは思いますが、それにしても、この幅広い年齢層の女性に共通する感覚というのを、実際に理解している方は多くないと思われます(そういう指摘をついぞ見ないため)。
もっと言うと、この現代において世代間のギャップに勝る「(日本)女性」特有の感性が、作品を通して浮き彫りになった、と見た方が納得がいきます。この、変化の速い現代において、これは奇跡に近い。


そしてその向こう側に、ようやく見えてくる「共通点」。

『鬼滅の刃』の登場人物も、Official髭男dismの "登場人物"たちも、

エネルギーが内向きである

ことに気づきませんか。

内向き、といっても、
西洋化した後の近代日本的な「反省」の姿勢ではなく、
江戸時代まで非常に強力に日本人を規定していた、あの「内省」の心構え。

「反省」と「内省」の違いや、プロ・コン、
どういった場合にどちらを「すべき」か、という議論はここではしません。
ただただ、
『鬼滅の刃』とOfficial髭男dismの中に潜む、「内省」的な、非攻撃的な心構え。
(若い)女性はそういったことに非常に敏感に反応します。
奥深いところでの「母性」と関係があるからです。

『鬼滅の刃』に至っては、その内容自体の攻撃的な側面にもかかわらず、
「10代~40代」の「女性」は恐らく、攻撃性と逆のものを見出した。
それは「真の強さ」のようなものです。

人を批判したり、人のせいにするのではなく、

何事においてもまずは自分と向き合うことを忘れず、

向き合った後、自分にウソをつかない、

成長のためには反省(つまり謝罪)(誰に?)する必要はない、

だからこそ、成長できるし、成長する義務がある、

そうやって、「今」を強く生きることができる…

これが「内省」と呼ばれる心の動きです。

(自分では)どうしようもないことばかりの日々だと感じるようになればなるほど、

劣等感に浸る「癖」は邪魔になります(それは問題改善と逆向きだから)。

そのことを、あっさり教えてくれる、『鬼滅の刃』とOfficial髭男dism。


女性は、「反省」を強いる教育、その副産物である「劣等感」「自己否定感」、

そういった風潮から女性性を守る術として、

本来の優しさとは強さなんだと教えてくれる『鬼滅の刃』とOfficial髭男dismが大好き

なのではないでしょうか。

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