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"バトンをつなぐこと"は果たせなかったことを果たす唯一の行動

【萬里小路】という名前に生まれた運命

小さい時から「萬里小路」という名前のおかげで、人に初めて会うと必ず名前について聞いてもらえたし、なにより覚えてもらえる。名前で損した経験は、学校のテストや書類関連で何枚も名前を書くことくらい。(笑)それ以外は珍しいということで得したことの方が多い。

だから、感覚的だけど、この名前で生まれてきたことに誇りがある。そして、この名前の由来、先祖を辿っていくと、歴史に名を残している。だから、僕もどこかそんな『運命』なのかなと勝手に感じている。

【萬里小路】家のスタート

「萬里小路家」のスタートは今から約770年前の1250年頃。歴史的に名がある人物として、「萬里小路 藤房」という人物がいる。
※本やネットでは「万里小路」となっているが、「萬」は「万」の旧漢字。

※出典:国書刊行会「集古十種」より

「萬里小路 藤房」は、鎌倉時代末期の第96代後醍醐天皇の側近。(えっ!天皇!?笑)

歴史の話を少しすると、この頃は皇統が2つの家系に分裂してごちゃごちゃしてた時代で、両統迭立を保守しようとする鎌倉幕府に後醍醐天皇は反対し、鎌倉幕府の倒幕計画を立てて、藤房はその計画に参加することになる。その後、後醍醐天皇は建武の新政で天皇主権の政治体制にするが、世間から反感を買いうまくいかず停滞する。

その間に、足利尊氏が関東で勢力を広げて幕府(のちの室町幕府)を開こうとするが、後醍醐天皇の息子がその動きに反対し二人は喧嘩に。その対立に不安を感じた藤房は足利尊氏を説得しにいく。

藤房は、鎌倉幕府と同じ武力を中心とした武士の時代に戻ることを懸念。しかし、足利側は贅沢な生活をする公卿や武力のない公卿の不安定さが諸悪の根源であると、藤房は全然話を聞いてもらえかった。

さらに、混乱や不満が続く政治(足利尊氏が武士たちに嘘の約束をして事態はさらに悪化したことが大きいという説もある)や傲慢で贅沢をしている公卿の状態に対して、藤房は後醍醐天皇に「武士たちと協力してやりましょう!」と進言するがそれも聞き入れてもらえず。結果、嫌気がさし失踪して出家した・・・。

「萬里小路家」の歴史の始まりはこんな感じ。

藤房が"果たせなかったこと"

僕なりの「萬里小路 藤房」という人物は、

・世の中から争いや対立をなくしたいと願い、
・傲慢で贅沢な生活をする公卿に苦言を呈し、
・公卿と武士は協力していくべきだと進言した。

中立的な立場でバランスを重視し、皆平等であるべきだと主張した、物事に対して真っ直ぐで忠実な人だったんだなと。
一方で、いろんな偉い立場の人間の間に立って、自らの考えや意見を主張をしてきたが、実際に解決や実現することができなかった、失敗を経験してきた人である。

そして、似たような状況って今の時代や世界にも言えるし、どっか自分のこれまでの経験にも当てはまることが多いと気づく。(現代は、武士はいないけどね。笑)

その上で、自分はなにがやりたいんだろうって考えると、偉い立場やリーダーになりたいというよりは、そういうリーダーを応援したい。人と人の間に立って関係をつくりたい。藤房と同じように、"人と人をつなげること"がやりたいんだって思った。

それが「萬里小路家」として生まれた使命であり、『運命』。

"アントニ・ガウディ"と"サグラダ・ファミリア"との出会い

「萬里小路家」が誕生してから約740年後の1988年に僕が生まれる。僕のその後の話をし始めると長くなるのでここでは省略するが、今の自分の姿勢や感覚に大きな影響を与えたのは、24歳の時。当時、社会人3年目。

その年に、スペイン・バルセロナという街に行くことになる。理由は覚えていない。サッカーが好きとかそんな理由。でも、今まで行った国・街の中で一番行く前から興奮していたことだけは覚えているし、事実、僕にとって一番好きな国・街になった。

そこで、『サグラダ・ファミリア』という建築物、その建築家『アントニ・ガウディ』という人物を知ることになる。

※出典:at the Gaudi and Barcelona Club / Portrait photograph of Antoni Gaudí i Cornet.

この建築物と建築家との出会いが僕の人生の方向性を示してくれた。ガウディが生涯の中でつくりたかったもの、伝えたかったこと、成し遂げたかったこと。このサグラダ・ファミリアに込めた想い。それらをもっと知りたい。

その方向性とは、"人の想いをきちんと理解すること" 。"その想いを人に伝えていくこと"。
サグラダ・ファミリアという作品を通して、"人と人がつながっていく"ことを感じた。そこにものすごい共感があった。

ガウディは、サグラダ・ファミリアの完成を生きている間に果たせずこの世を去った。※サグラダ・ファミリアはガウディが亡くなった100年後の2026年に完成予定。

"人と人をつなげること"

僕の先祖「萬里小路 藤房」が果たせなったことと建築家「アントニ・ガウディ」が果たせなかったこと。この共通点が見つかった瞬間に鳥肌が立ったのは今でも覚えている。

「果たせなかったことは僕が果たせばいいんだ」と。

"バトン"をつなぐ"ような感覚。二人の偉大な人物からバトンをつないでもらった僕は、リレーの『第2走者』。そのバトンを次の第3走者につなぐこと、さらに第3走者からアンカーにつなぐことで、果たせなかったこと=ゴールができる

先祖「萬里小路 藤房」、建築家「アントニ・ガウディ」という人物の生き方や考え方に憧れ、そしてサグラダ・ファミリアのような作品をつくり、人に夢や希望を与えていくことが僕の人生。

それが僕が歩むであろう、得体の知れない『運命』である。それに耐えられる、バトンをつなぐだけの大きな器になるため、今日もたくさんの刺激と感情と向き合うのだ。

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