新卒の外国人採用に関する、日本企業が抱いている本音と対策。
昔から新卒の外国人採用に関して国家機関、民間企業での様々な分析レポートが発行されて来たが、そのいずれにも一貫している内容がある。それは、「外国人を採用するとき、最も重視する能力は?」という質問に、1位「日本語能力」、2位「異文化理解」と多くの企業が答えていることだ。
しかし、こういったアンケートによる分析は、外国人である私からみると、本質を見抜いていない気がする。人材ビジネスに触れてみた方々は、ヒアリングの重要さがわかると思うが、「伺い方」によって汲み取れる「深さ」は全然変わってくる。「外国人にどういったことを求めていますか?」などのアンケートっぽいな質問では、「やっぱり日本の文化の理解ができてないと、仕事難しくなりますからね…」のレベルの返事しかいただけない可能性がある。
私は抽象的な言葉を解剖することを好んでいて、異文化理解という言葉もそのままのイメージで受け入れては危険だと思っている。本当に「日本の文化を理解し、日本人の思考、日本人の行動をうまく真似できる人」だろうと、間単に考えても良いのか?
実は、異文化理解という言葉の底にある本音には、「本当に短期間の研修で他の日本人社員と同級のレベルになれるの?」、 「定着できないリスクはないの?」、 「勝手なことはせず組織に馴染めるの?」などがある。これは日本の理解に繋がっている懸念で → 日本のことを正しく理解できれば → この懸念は解決できるんだろうと思って → 「異文化理解」という言葉で企業の人事は纏めて伝えている。しかし、ようやく理解できている人材になっても、企業は懸念を完全に払拭されないケースがある。それは何故か?
まず、逆に日本人が日本人に、「日本社会を理解してますか?」と訊かない理由を考えてみよう。質問としては非常におかしいが、訊かない理由がある。それは、相手を信頼しているからだ。その信頼とは何なのか? 自分と同じ経験をしているから分かるという信頼だ。だったら、自分はその経験をどのようにに行ってきたか? ここで、ようやく見えてくるものがある。それは、「そういえば、自分は特に努力をしていなかった…」だ。
日本人が日本のことを理解しようと集中的に力を入れて頑張ったりするのか?、しない。成長とともに自然にわかっていく。意識もしない。
日本人:20年以上、無意識的に日本のことをわかってきた。
外国人:短期間で、意識的に日本のことをわかる努力をする。
全ての懸念はここからスタートしていて、外国人がどれだけ短期間で沢山の経験を詰め込んで、準備できている人材になっても、教育の形が違うから、少しの懸念は常に残ることになる。
外国人が本当に日本の優秀な企業に入りたいのであれば、企業が最後まで持っている「少しの懸念」まで消せる努力が必要となる。これができれば、日本人とやっと同じレベルになったと、実感できるようになる。
ここで必要なのが、日本社会への貢献意識だと思う。外国人が日本で色々な仕事を経験して、母国でその経験を発揮したいというビジョン(究極的な目標が母国)を抱くのは本当に素晴らしいと思う。それはグローバルの社会格差を縮めることにも繋がるからだ。しかし、日本企業は保守的なところがまだあるのも事実で、それだけでは少し足りないと思っている。日本への貢献意識もちゃんとチェックされている。
「究極的な目標が母国でなく、日本。」というもう一人の自分を創ることは果たしてできるのか?私の半分は日本人になる、つもりでの意図的な練習が必要となる。私はこの意図的な練習をする方法を探して、それを繰り返し、今は一つの対策を手に入れることができた。勿論、これが全ての外国人に適用されるかは曖昧なところがあるが、少なくとも役には立つと思っている。また、誰でもいずれ私と同じような考えに辿り着き、自分ならではの方法を見つけようとするが、それは非常に時間が掛かり、試行錯誤が必要となる。したがって、少なくともその試行錯誤は減らして上げたい。
この私の努力した経験は自分のものにするのではなく、日本企業のため、外国人のため、有効に活用していきたい。