外国人は「日本社会への貢献」を本気で考えられるか?
人は快楽と目的、両方を追う存在であり、その割合は人によって違う。そして、目的を追う意味が理解でき、それを限りなく求める姿勢があってこそ、人間は長期間やりぬく力を発揮できる。-Angela duckworth著、「GRIT」中-
社会人の多くは「社会に貢献したい」という行動基準を持って働いている。人は自分の心を保つための軸が必要だからだ。この軸とは快楽を基準にしていない。ここでいう快楽とは食欲、性欲、睡眠欲などを意味する。私たちは面接の場で将来の目標や、自分の仕事観に関して相手に話すとき、その内容は社会の貢献に繋がっている。「たくさん食べれるため稼ぎたい」などとは言わない。
自分の快楽を満たすため沢山稼ぎたい。これは皆頭の中で考えてはいるが、言わない。皆それだけでは仕事はできないと思っているし、それ以上の何かを求めているからだ。そう、社会に貢献したときの満足感。それは限りなく大きいと想定できるし、快楽より上位の価値だと認識している。
社会貢献への意志がある人たちは、その中でも二つに分かれるのではないかと、私は思う。「社会貢献がしたい」人と、「なぜ社会貢献をすべきか」まで考えている人に分かれる。
まだ、快楽を追うことに心が向いている人は、そこから脱却したく、社会貢献というキーワードを借りて、無理やり自分の心に入れておき、その基準に当てはまる人になろうとする。つまり、「こうした方が社会人として正しい心構えだから従う」になる。
しかし、目的を追う人は、なぜ社会貢献すべきかまで考えている。社会貢献にも色々なテーマがあり、単なる興味で何かを選んだのではなく、情報の収集と経験の重なりから深い考察をした上、「なぜ」から「使命感」を導き出す。この人たちは行動基準に自分を当てはめない。使命感を自分の中に宿してみたら、それがいつの間にか社会貢献に繋がっていることに気付く。
外国人は日本人より日本社会への貢献意識を持ちにくい。私はこれは事実だと思う。また、その理由は教育にあると思う。人間は出生から社会人になるまでの20~25年間、様々な教育を家庭や学校から受け、その社会を理解し、その中での自分の有り方を形成していく。
しかし、外国人は成年になってから日本に来る場合が多いため、自分の価値観は母国の教育で形成されている。
ここで一つの問題がはっきり分かる。人間の快楽は変わるものではなく、どの国にいても同じく求め続ける。しかし、目的(社会への貢献がここに該当)とは自分がどの国にいるかによって、その意味が違ってくる。
日本語には「地元愛」という言葉がある。外国人は日本でこれを感じることが難しいんだろう。自分が属する社会コミュニティ(町から国まで)を本気で愛し、貢献したい気持ちになることはやはり外国人として難しい。これは私が外国人だからわかる。
日本人は日本を選ばないが、外国人は日本を選ぶ。ある「場」を選ぶという行為には定着が目的であり、定着は安定という個人的な快楽を満たしてくれる。外国人も日本に定着してからは、目的を追いたい意欲がいずれ発現され、それを自分の行動基準にしようとする。しかし、中々日本人のようにうまくできない。その理由は上で説明した通りである。
外国人はスペックが高く、企業内でも独特なポジションを任されているケースが多いが、だからといってそこで満足しないで欲しい。日本人の価値観がどうすれば共感できるか、それを内面化できるか常に自分に問い続けて欲しい。そうすれば、スペックに社会的使命感が加えられ、より進化した自分に出会える。私はそう信じている。