「Endless SHOCK」大千秋楽を終えて〜SHOCKは私の心の中で永遠に生き続ける〜
大千秋楽から日が経ってしまったが、私の最後のSHOCKへの思いをここに書き連ねたいと思う。
先日の11月29日、ついに最後の「Endless SHOCK」の幕が降りた。
終幕から2、3日程度は心にぽっかり穴があいて放心状態になり、
コウイチが天に召されたように、私の心も天に召されたような感覚になっていた。
一ファンとして、その最後の勇姿をライブビューイングで目に焼き付けさせてもらった。
無事に最後のステージを見届けられたことを、誇りに思う。
私の最後のSHOCKへの思い、いくつかのトピックに分けて簡単に記していきたい。
◾️ラストステージに感じたこと
とにかくメインキャスト、アンサンブル含め、全員が本当に輝いていた。SHOCKに出演するという時点で実力がある事は当たり前で、プラスアルファであの世界観やクオリティー・・・全員が輝くのは当然と言えば当然だと改めて感じた。そして、堂本さんが常に言っている「目の前にある公演に全力を注ぐ」「より良いものにするために全力を注ぐ」などを考えると、論理的に考えればこの大千秋楽の公演が一番最高の作品であると考えられる。そう考えると、その最高の作品を目に焼き付けられた事、本当に誇りに思っている。
そして、何よりも感動したのが「夢幻」のラスト、ほぼ全キャストと腕&グータッチを交わしていたこと。共演者への感謝、ラストステージへの思いなど、全てを表現していると感じ、とてもエモい演出だった。また、「CONTINUE」ラストでタツヤ(ライバル役)もコウイチと共に右手を挙げていたのもエモく、まさに「本当にラストステージなんだな」ということを再確認できた。
改めて、コウイチ、そして堂本光一という人は、最後の最後まで私にとってのスター、憧れ
の存在であり続けてくれた。
◾️カーテンコールで印象に残ったこと
およそ1時間程度という前代未聞の長さのカーテンコール。ラストイヤーの出演者全員(中山優馬さん除く)が揃い、それぞれの思いや挨拶などを語った。その中で最も私の心に刺さったのが、堂本さんの
「思い残すことはない」
「やり残したことはない」
「やりきった」
「コウイチはステージに立つものとしての究極形。その究極形を24年演じるのは辛かった。何故なら自分は全然究極体ではないから」
という言葉だった。これらの言葉に全てが詰まっていると感じたし、全力で走り続けてきたからこそ、むしろ良い意味で具体的に言語化などはできるはずが無いと感じた。そして、最後まで涙を見せない姿にも本当のプロ精神を感じたし、初演からずっとタッグを組み続けてきたプロデューサーの斎藤さんに感謝の言葉を述べたのも胸にくるものがあった。
劇中のセリフ、
「俺たちは一つ苦しめば一つ表現が見つかる。一つ苦しめばまた一つ表現が作れる、ボロボロになる。その分だけ輝けるんだ」
というのをまさに自身の姿で証明した稀有のエンターテイナーであると改めて確信した。
◾️舞台というコンテンツの尊さと儚さ
改めて考えてみると、私がエンタメの中でも一番大好きなミュージカルや舞台といった生のコンテンツは、とても尊くしかし儚いものだと感じた。頼んだり強制もしていないのに、わざわざ客が時間と労力を投下して劇場へ足を運ぶという行為。上演時間が決まっており、時間が経てば必ず終わりが来ることがわかっていながらもあえて作品を見にくるという行為。その一つ一つの行為やプロセスこそが、生のコンテンツの最大の魅力なのかもしれない。
やはり舞台やミュージカルというコンテンツそのものは、変にテクノロジー化してはいけないと再確認した。良い意味でも悪い意味でも「アナログさ」こそが最大の魅力であるコンテンツである。勿論、そのコンテンツにたどり着くまでのプロセス(チケット、プロモーション、施策など)にはむしろテクノロジーを活用すべきであるが、目的(ゴール)である舞台やミュージカルというコンテンツには良い意味でアナログさを絶対に残す必要がある。「舞台やミュージカル=目的/チケットやプロモーションなど=手段」というのが前提で、テクノロジーはあくまでも手段であって目的ではないのが本質ということを改めて肝に命じた。
◾️映画『オートレーサー森且行 約束のオーバル 劇場版』との共通点
SHOCKが大千秋楽を迎えた数日後、元SMAPの森且行さんの映画『オートレーサー森且行 約束のオーバル 劇場版』を鑑賞した。この作品は森さんがオートレースに全てをかけるドキュメンタリー映画だが、SHOCKと通じるものが多くあると感じた。本当にオートレースに命をかけ、文字通り命を削っているのがわかるし、原動力やモチベーションは「オートレースが好き」という実にシンプルな理由にあるとのことである。SHOCKもまさに「命を削る」という点などが共通しているし、やはり「好きの力」こそが最強なのだろう。堂本さんが好きなF1との共通点も多く、舞台、オートレース、F1など、戦う場所は違えど、共通しているのは、「生身の人間によるパフォーマンス」であるという点。やはり、人を感動させるには同じ人の力が一番必要なのだと心の底から感じた時間だった。
◾️今後の堂本光一さんへの期待
カーテンコールで(冗談半分かとは思うが)まさかのSHOCK専用劇場の構想を語っており、いかにも我々ファンが喜びそうなことを言ってくれた。これが実現すれば期待しかないし、堂本さんが表舞台にはもう出ないかもしれないが、SHOCKという作品自体は残り続けることを考えると、微力ながらも何か貢献したいと思わざるを得ない。ただ、堂本さん自身は明確にゴールを立てるタイプではなく、目の前の事に必死にやってきた結果がこのSHOCKの偉業に繋がっていると思うので、これからも堂本さんが選んだ道を信じ、私はついていくことは間違いない。冷静に考えてみれば、事実、旧ジャニーズ事務所に入所する時に「あなたはSHOCKをやってください」という契約で入っているわけではないのだから。
◾️真のラストステージ「FNS歌謡祭」(2024年12月4日放送)
大千秋楽は終了したが、その後フジテレビ系で放映された「FNS歌謡祭」でSHOCKカンパニーによるパフォーマンスが行われた。曲目は「Dancing On Broadway」と「夢幻」の2曲。あえて言葉にはしないが、「夢幻」をラスト曲にしたのが全てを表していると感じた。曲、パフォーマンスに「Show Must Go On!」の精神が詰め込まれ、真のラストステージの幕を無事に下ろしたと感じた。
◾️一点、残念に感じたこと
カーテンコールにて、今日で大千秋楽を迎えることでSHOCKのセットが解体されるということを話していた。冗談半分で「欲しい人いる?」「じゃあオークション形式で」という事を言っていたが、マジレスすると、私から言わせれば「資産の有効活用を考えられる人間はいなかったのか」「資産を活用できていない」など、非常にネガティブな感情になった。これだけの価値ある作品で使用していたセットや小道具など、いくら保管場所の管理コストなどの問題があるとはいえ、無くすというのはあまりにも理解できない。これこそ、デジタルの力をうまく活用して新たな価値創出をする事業を作り出す絶好の機会なのではないか。少なくとも私が担当者なら、NFTやブロックチェーンなどのテクノロジーを活用して資産をフル活用させる事業計画を立てる自身がある。いやー、これは本当に残念であまりにも勿体なさすぎる。やっぱり、良い作品やコンテンツを作るノウハウはあっても、それを横展開するマーケティングなどのノウハウを持っている人は少ない業界なんだなあ・・・
色々と書き連ねてきたが、私のSHOCKへの思いを綴るのもこれが最後になるだろう。
SHOCKの幕は下りてしまったが、SHOCKの思い出や存在はこれからも私の心の中で生き続けることは間違いない。どんな困難なことがあっても、SHOCKが自分の心の中に有る限り、私はこれからも生きていく。
オープニング序盤のオーナーから観客への問いかけのセリフ、
「皆さんにとってのShow Must Go On。走り続ける意味とは何でしょう?」
今ならこの問いかけに答えられる。
私にとってのShow Must Go On。それは、
「SHOCKを自分の心の中に持ち続けること」
である。