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今日という日を私は一生忘れない!〜SHOW MUST GO ON!最後のSHOCKへの思い〜

ついにこの日が来てしまった・・・

今日を生き延びれば、もう人生に悔いはない。

大袈裟ではなく、本当にそう思えるほど、今日は特別な1日になることは間違いない。


2024年11月29日

「Endless SHOCK」の幕が降り、新たなステージへの幕が開く・・・


今日という日は、私を含めて全世界のSHOCKファン、堂本光一ファンにとって永遠に忘れられない日になるだろう。

本日、25年続いてきたSHOCKの最後の幕が下りる。


1991年の少年隊ミュージカル「PLAYZONE」を原点とするこの作品がここまで成長し、25年もの間エンターテインメントの最前線に立ち続けるとは誰が予想しただろうか。堂本光一さんがこの舞台に命を捧げたその努力と情熱は、単なる「舞台作品」を超えてもはや「文化」として人々の心に深く刻み込まれた事は誰もが認めるところだろう。

また、直近で発売された雑誌のインタビューにて「少年隊のSHOCKを超えることは一生できない」と言っていたのも印象的で、原作への大きなリスペクトを持っておられると改めて感じた。


改めてこのSHOCKという作品を振り返ると、特に特筆すべき点が主に以下の2点にあると考えている。


①「オリジナル作品である」という点

国内のミュージカル・演劇作品において、こと「オリジナル」というのは極めて少ない。東宝作品や劇団四季などもほとんどが海外もしくは原作がある作品の舞台化のものが大半だが、このSHOCKは正真正銘の「オリジナル作品」である。これは、堂本さん自身も「日本発のミュージカル作品を作りたいという思いもモチベーションの一つとしてやってきた」と言っており、しかもそのオリジナル作品で25年というロングランを続けられたのはまさに偉業という言葉以外に当てはまる言葉は無いだろう。


②単独主演かつシングルキャストが基本の作品

通常の作品であればダブルキャストやトリプルキャストなどが基本的で、特定の役者に負荷がかかりすぎないように組まれているのが多いと思うが、SHOCKはその逆で、まさに「堂本光一が主演でしか務まらない」「堂本光一がいなかったらもはやそれはSHOCKという作品ではない」と思えるくらい、「属人性が強い作品」である。しかもその内容が年々ハードかつクオリティーが高くなるという、絶対に誰にも真似ができない唯一無二性があるところが素晴らしい作品である。


今では帝国劇場という演劇界の殿堂で毎回上演することがスタンダードになったが、初演時には様々な批判的な声があったという事は今やほとんどの人が知っているだろう。

「アイドルに何ができる」「神聖な場所を汚すな」といった言葉も少なく、それは堂本さんの元にも届いていたという。誤解を恐れずに言えば、当初は「KinKi Kidsの堂本光一が主演するから」「ジャニーズが舞台をやるから」という理由で劇場に足を運んだ人も決して少なくないだろう。しかし、そういった批判の声を受け止めつつ、「だったら(言葉は悪いが)そういう声を黙らせてやる作品を作る」という一つのモチベーションにも繋がったともインタビューで語っている。また、これに限らず、2011年の震災での公演中止、2015年の舞台上での事故、そして2020年のコロナによる公演中止などで明らかにネガティブな状況においても、「だったら何ができるのか」「これがだめならこれはできないか」など、常にポジティブかつ前向きな思考でとにかくエンターテインメントの灯を消さないように行動する姿勢および思考はまさに「真のプロデューサー」である。現に、コロナで本編ができなくなり、決してその代替案という位置付けではなく「だったらこういう内容ならどうだろう」と考え出した「Endless SHOCK Eternal」は、寧ろ作品の本当の完結を意味する内容になり、より作品への共感やクオリティーアップに繋げたのは本当にリスペクトしている。


堂本光一という人は、誤解を恐れずに言えば、決して「天才」「才能の人」ではないと私は考えている。器用と不器用で言ったら、どちらかというと後者のタイプである(と私は考える)。グループ(KinKi Kids)で見ても、光一さんは「努力の人」で剛さんは「才能の人」だという認識がある。事実、本人もインタビューで「自分には技術や誇れるものが無いので、その分命を燃やしてパフォーマンスをする」と言っているように、寧ろ「努力の人」である。しかし、その「努力、人間味溢れるパフォーマンス>才能、器用さ」という要素が、ことミュージカルや舞台という「生身の人間によるコンテンツ」に非常にマッチし、そこに我々ファンは共感したり心を動かされたりするのである。


私は2000年の初演から毎年観劇させて頂いているが、唯一今回の11月公演だけどんな手段を使ってもチケットが取れなかった。結果的に、真のラストステージをリアルで拝めず、9月の博多座公演がリアル観劇の最後となった。あくまでも自分勝手の妄想だが、これは、堂本光一という人は自分にとっては永遠に雲の上の存在であり、そして永遠の憧れの存在である故、最後はリアルではなく映像(ライブビューイング)で見送れと神様から言われているような気がした。そう、最後は蚊帳の外から見送る事こそが真のファンであると言われているように・・・

しかし、堂本さんが常に言っているように、「いつも通り」「目の前のステージに全力を注ぐ」というエンターテイナーとしての哲学が、たとえラスト公演だとしても一貫して最後の最後まで芯がぶれていない本当にカッコいい人だと心の底から再認識した。

とにかく、最後まで見守らせて頂きます。


SHOW MUST GO ON!

〜何があってもショーは続けなければならない〜


この言葉にどれだけ救われ、そしてどれだけ自分の人生の哲学になっているか。

本当に奥深いテーマであり、たとえSHOCKの幕が下りても、私の中にこのテーマはこれから先死ぬまでずっと残り続けるだろう。私自身もビジネスにおいて「エンタメ」というドメインを主軸にしていることからも、この作品から学ぶべきことはとても多くある。エンターテインメントの本質は、特定のファンだけでなく、「舞台に興味がない」「出演者に興味がない」という人々の心をも動かし、引き込む力にある。それを25年もの間、変わらぬ高いクオリティで実現し続けた「Endless SHOCK」という作品は、まさにその究極形だと言えるだろう。


そして、原型となる「PLAYZONE SHOCK」のステージに立っていた少年隊(錦織一清さん、東山紀之さん、植草克秀さん)の方々は大千秋楽の今日、何を思っているのか・・・


残念ながら、ラストステージを直接帝劇で観ることは叶わなかったが、本日はライブビューイングで最後の瞬間を目に焼き付けたい。

「前よりいいものを」

「目の前に全力を注ぐ」

「作品をより進化させていく」

堂本さんが常にこういった考えを持って今日までSHOCKを磨き続けてきたことを考えると、論理的に考えれば大千秋楽の本日の公演が最もクオリティーが高くて良い作品になるという事になる。そのように考えると、言葉ではうまく表現できないが、非常に胸が熱くなり、込み上げてくるものがある。本当に

「堂本光一のファンであること」

「SHOCKのファンであること」

に高い誇りを持っていると改めて実感している。


ありがとう、SHOCK!

ありがとう、コウイチ!

ありがとう、堂本光一!

そして、ありがとう、

(例の問題とは別にあくまでもプロデューサーと尊敬している)

SHOCKを0→1で生んでくれた彼・・・


思いは帝劇に・・・


SHOW MUST GO ON!

〜あいつの思いは永遠なんだ〜






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