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自己紹介

■高校時代
地元(広島県尾道市)では進学校の広島県立尾道北高等学校に入学。
入学までは特に自習はせず学校の授業のみで生きていたため、1年生の時から自宅学習3時間のノルマや数限りない小テストにうんざりする。
部活は硬式野球部に入部するが、こちらも中学時代とは比較にならない練習量と周りのレベルの高さで1年生の頃は勉強と部活の両立がなかなかできず、全て嫌になって仮病で学校を休んだりしていた。
特に部活は厳しく、周囲とのレベルの違いもあり(カーブ打つ練習とか全くやったことなかった)できない自分を受け入れるのになかなか時間がかかった。
辞めたいと思うことが多かったが、先に離脱していった元野球部達と微妙な距離感ができる様子を見て居場所を失う恐怖に駆られて必死にしがみついた。
しがみついているうちに総合力で勝利するのは難しいという結論に至り、勝てないところで無理に勝とうとするのはやめようと思い始め、打撃で使い所のある選手になろうと頑張る。
代打で生きていけば守備やんなくて良いじゃんというライフハックを手に入れて打撃を磨き始める。その甲斐あってか2年生の頃からちょこちょこ代打で試合に出してもらえるようになる。
代打についても変化球を打てる確率は少ないため、ストレートがきたら多少コースが厳しくても手を出していくという戦略を徹底、結果としては代打の切り札ポジションを獲得し、代打の成功率は3年間で5割越えとなった。自称進学校らしく試合後はMTGを行い試合内容の改善点などのディスカッションを行っていたのだが、そこでの発言が気に入られチーム内で分析担当的なポジションを構成し始める。
居場所がないと感じることへの葛藤と居場所を作る方法を見出す術を学んだ高校時代だった。
勉学に関しては、真面目にやっていたら精神が持たないと気づいたため、毎日寝る前に本を読む習慣を国語の自習として申告するようにした。結局自学自習をすごく頑張ったわけではないが授業についていくこと自体にも負荷がかかる環境だったため中の上くらいの大学に進学できる学力にはなった。

■大学時代
本項は執筆途中です。