元ポンコツプログラマーが広報をしているワケ
初めまして!ベーシックスで広報をしている佐藤と申します。ページに訪れていただきありがとうございます。
今回は初ストーリーということで、自己紹介も含めながら、私がベーシックスで広報をすることになったキッカケや、ベーシックスの「素」の部分をご紹介したいと思います。
「プログラマーをしてもらいます」目が点になった新卒配属の初日
私は短大を卒業して、大手ハウスメーカーに入社しました。短大では、心理学や経済学を専攻していました。でも配属されたのは、なぜかシステム開発の部署。
全体研修を終えて配属初日、案内された自分のデスクに座ると、「どん!」と分厚いマニュアル5冊が置かれました。
「当分仕事はできないと思うから、まずこれ読んで。それが終わったら、この部屋にあるマニュアル全部読んでね」と。部屋を見渡すと四方に本棚があり、びっしりとあるマニュアル。私は気が遠くなったのを覚えています。
「なんで私はこの部署に配属されたの?」 そうは思っても、やるしかありません。
それからの私は、先輩へのお茶くみ(今では考えられませんが)、電話対応、コピーや雑用、そしてマニュアルを読むこと、研修に通うことでした。ちなみに私の上司は40代独身男性で、ほぼ放置プレイ(孤独だったな…)
同期がつぎつぎと仕事を覚えていくのを見て、私だけが何の役に立っていないことに肩身が狭く感じました。「私は仕事をしていない」という感覚だけがずっとありました。
入社一年目、全国の顧客受注データを壊して社内騒然
入社から半年ほど経ったとき、あるテストプログラムを実行しました。
上司が忙しそうにしていたので、プログラムを見せずに「まぁ大丈夫だろう」とぽちっとやったら・・・
しばらくすると、先輩が「おい、おかしいぞ!?誰かなんかやったか?」「まずい、止めろ止めろ!」のような怒号が響き、部署内はまるで『踊る大捜査線』のような、まさに現場で事件が起こっていました。
「絶対わたしのせいだ・・・」とフリーズしていましたが、おそるおそる先輩にプログラムを差し出し・・・「原因わかったぞーー!」その後の記憶はあまりありません。
何時間かして、先輩方のおかげで何とか復旧し、事なきを得ましたが(自分で言うな)、「プログラマーとは何とおそろしく、会社全体に影響を及ぼす危険な仕事なんだ・・・」と痛感したのを覚えています。
やりがいを感じ始めた頃に出産退職
そんなポンコツプログラマーの私も、5年もすれば小さな仕事もできるようになってきました。そんな矢先に妊娠。当時は、「結婚か出産で会社は辞めるもの」という時代背景もあり、退職して専業主婦となりました。
人は、失ってから大切さに気付くとはよく言いますが、私は会社を辞めてから、仕事ができる有難さを痛感。「いつか働くときがきたら、一所懸命働こう(プログラマー以外で)」と心に誓ったんです。
その後、新聞社のライターに応募して記事を書く仕事を始めました。『私は伝える仕事が好きだ』と初めて思ったときは、既に30才オーバー。これが、私が広報をはじめたキッカケです。
その後、建築会社に入社して広報部を立ち上げ、人事や営業も経験しました。たくさんのお客様、そして求職者に来てもらえるようになったことが、とても嬉しかったです。
SNSで小畑社長との出会い
小畑社長とは、SNS「LinkedIn(リンクトイン)」を通して知り合いました。お互い同世代ということもあり意気投合。IT業界で30年以上最前線でやってこられているのに謙虚で、飾らず率直にお話される人柄や、採用に課題を感じておられたことにも共感し、広報や採用サポートを担当させていただくことになりました。
小畑社長はX(旧ツイッター)でも本音を発信しているので、よかったらのぞいてみてくださいね。
お掃除ロボットの実証実験に立ち会い@ベーシックスパーカーと共に
尊敬できるBASICSエンジニアの魅力を伝える
当社のエンジニアは、「できません」「やったことありません」を言いません。経験のない事例、トリッキーな案件でも「まぁやってみますね」と挑戦して結果を出す。尊敬しかありません。
私がプログラマーだった当時、もしベーシックスのように支え合える仲間がいたら、私も意欲を持って仕事ができていたのだろうな…と感じています。
今は、私がプログラミングをすると、大変なことになるので封印です笑。
あくまで私は会社の魅力を伝え、ベーシックスに入社してくれる人が増えるよう、言葉で盛り上げるのが使命であり、やりがいです。
さぁ、そこのあなた!一度、うちの社長と喋ってみませんか?面談では社員のエンジニアともお話していただけます。コンタクトお待ちしております!