発達障害を抱え障害者採用でセールスフォース日本法人に入社した元契約社員が、雇い止めの無効、合理的配慮拒否などで受けた精神的苦痛への損害賠償などを求めて東京地裁に起こした裁判で、会社側弁護士が「障害者だからといって特別扱いが許されると思うのは間違いである」などと障害者への誤解や偏見を助長するとみられる見方を示していたことがわかった。
セールスフォース事件は、ハラスメントの有無、合理的配慮提供が十分であったか、 コロナ拡大のなかでの通勤訓練の妥当性 、そして雇い止めの合理性など、争点が多岐にわたる複雑な事件で、裁判所でも整理に時間がかかっているもよう。
主張が出揃うのはこれからだが、障害者への尊厳を傷つける主張が展開されていくおそれがないか。
争点:働く障害者は特別扱いを求めているか 「 原告からのご報告 」。裁判の概要とスケジュールが掲載されている。
裁判では、「合理的配慮の改善を求めた原告が特別扱いを期待していたのか」が争点のひとつとして挙がっている。
原告である発達障害を抱える元契約社員の女性が退職勧奨の時期から代理人弁護士を立てて「ハラスメントの存在を認め、加害者からの謝罪と就労環境の改善をしてほしい」「障害に対する合理的配慮を適切に行なってほしい」「強引な退職勧奨をやめてほしい」と主張してきたのに対し、会社側弁護士は原告の代理人弁護士への回答書で、次のように主張していた。
そもそも障害者雇用であるからといって契約更新に当たって特別な優遇がされるものではない。当社としてそのような誤った認識に基づいた説明をしたという事実もなく、仮に原告の内心において当然に特別扱いが受けられると期待していたとしてもそのような誤った期待は法的保護に値しない。 女性は、「障害者だという理由で契約更新等の際に特別扱いを受けて当然だなどとは一度も言ったことはない」。会社側の準備書面について、「そもそも会社側弁護士達が合理的配慮や、障害者に対する差別・偏見にあまりにも無知で、偏見や誤解を強調しようと試みている」という印象を受けたという。
自らも発達障害をオープンにする担当の伊藤克之弁護士も、「原告の合理的配慮の求め方に問題があったとはいえない」と述べた。筆者が、「会社側が、原告が特別扱いを期待している、という意識を持っている可能性があるか」と尋ねると、「その可能性はある」と答えた。
「障害者だからといって特別扱いが許されると思うなよ」―。これは「障害者への偏見を強調する見方で、差別で侮辱」と女性は表明。偏見や誤解を強調しようとする主張に対しては、証拠とともに反論を積み重ねていく姿勢であるという。回答書をはじめ退職勧奨におけるやりとりは、証拠として提出している。
きょう5月19日、東京地裁で第五回口頭弁論が行われた。この日の傍聴席は満席で、電動車いすで女性の応援に駆けつけた人の姿もあった。次回は7月11日に第六回口頭弁論が予定されている。
「全ての人が理解があるわけではない」双方にある葛藤 障害者への配慮は、「優遇」や「特別扱い」になるのかー。
「合理的配慮はわがままと捉えられるのではないか」と考える人は多い。
松井優子氏( 障害者雇用ドットコム )
働く障害者側と雇用する企業側、双方に向けて情報発信する、障害者雇用コンサルタントの松井優子氏に聞いた。
それによると、確かに、「障害者が、職場に対して依頼することとして相応しくなく、自分の都合だけで職場の仕事体制や他人の業務に影響が出てしまうような状況を作ってしまうと、それは合理的配慮ではなく、わがままと捉えられることが多い」という。
「ミスをしても注意しないでほしい」「人とのコミュニケーションが苦手なので、職場の人から声をかけてほしい」「自分にできない業務は、担当から外してほしい」「体調に合わせて仕事の時間を変更して欲しい」などがその例だ。
しかし、そうでなければ、「今では企業は真摯に対応していることが多い」と松井氏は述べる。
松井氏はまた、「合理的配慮がわがままに思われるかどうかは、職場でどのような情報発信をしているのか、またそれを受け取る社員にもよる。企業によっては様々な考え方や感じ方をするところもあるようだ」と述べる。あくまでも一般論であると断ったうえで、「特に、社員が色々なバックグラウンドがあったり、人の出入りが激しいところはこの傾向が強い」ように感じているという。
「改善を試みるなど力を尽くしているにもかかわらず、職場で理解を得られない」と悩む障害者も少なくない。そういう人には、「全ての人が理解があるわけではない」という現実を受け止めることが必要な場合もあることを、松井氏は伝える。
「全ての人が理解があるわけではない」という現実は、働く障害者だけでなく、企業側にとっても葛藤となっている。雇用する企業側の苦労として大きな部分を占めるものに、現場で働く社員への理解浸透がある。
社内への理解浸透に苦労している企業には、「障害者雇用の理解について、どれくらいの頻度で社内に告知しているか。年に1回や2回では全く伝わらない。障害者雇用を組織で行なう必要性を示したり、業務の最適化やメリットがあることを示さなければ、一般社員は関心を持たない」と松井氏は伝える。
松井氏はまた、「合理的配慮を行なうために、事業活動に多大な影響が出る場合や、過度に社員の負担がかかる、費用負担が非常にかかる場合など明らかに対応することが困難な場合には、該当しない。どの程度が過度な負担にあたるのかは、企業の規模や財務状況等によるため、各企業で判断していくことが求められる」と述べる。
企業姿勢を問う セールスフォース事件に関しては、松井氏は、あくまでも発達障害の元社員の視点を元にした記事を読んだうえでの意見であると断ったうえで、「企業における合理的配慮は『過重な負担』にならないこととされているので、発達障害の元社員がどの程度の配慮を求めたのかということなどが、ポイントになってくるのではないか」と述べる。
「残念だなと思うのは、発達障害の元社員が改善を求めて会社やジョブコーチと面談しているものの改善されなかったことだ」
そのうえで「このような訴訟で有名になってしまうのは絶対に避けたい。企業に求められている合理的配慮を把握し、理解できていない社員がいるのであればそれを理解できるように伝え、教育していくことも必要。それでも困難であれば、本人への影響だけでなく、組織へのリスクをも考え、何らかの行動を取るべきではないか」と警鐘を鳴らす。
また、筆者の情報開示請求により、セールスフォース日本法人が2009年~2021年において、障害者雇用促進法に基づく法定雇用率が2017年を除いて未達成で年度ごとに160万円~485万円の納付金を支払っていたこと、原告が退職勧奨されたと主張する時期である2020年には法律で義務付けられているハローワークへの障害者雇用状況報告が適切に行われていなかったこと、原告が入社する5か月前の2018年6月1日時点で障害者雇用数が厚生労働省の行政指導である障害者雇入れ計画の対象となりうる基準に該当しており障害者雇用義務違反の企業名公表による信用低下リスクを抱える状態であったことがわかった。
厚生労働省の企業名公表リスクが迫っていることが否定できないなかで、社内の理解が不十分なまま原告の採用が進められた可能性はなかったか。これも訴訟を通して解明されるのか。
一般に、企業名公表リスクが迫ってきた場合、「社内の理解が進まないまま障害者を採用してしまうケースも見られ、結局、障害者にとっても企業にとっても残念な結果になってしまうことが少なくない。できるだけ雇入れ計画作成命令の対象となる前に取り組みをはじめることが大切」と松井氏は述べる。
セールスフォース日本法人の障害者向け 採用ウェビナー 。(同社サイトをキャプチャー)
同社はホームページやイベント等で、「平等と多様性」「ビジネスと社会貢献の両立」や、障害者に働きやすい環境を伝えてきた。13年間は明らかに増員している。
同社は、訴訟に発展した問題やそれを受けての社内外向けの対応について、係争中を理由にコメントせず、回答の結びの言葉で「平等と多様性が私たちをより良い企業にすると信じていますので、私たちはより平等で、包括的で、持続可能で、より良い世界を目指しています」とコメント。
今後、会社側の認識を追認するような司法判断がされた場合、それがどのような社会的メッセージを持って伝わっていくことになるのか。働く障害者や支援機関にどのような影響が出るのか。
「私たち抜きに、私たちのことを決めないで」 シングルマザーである女性は、親子で発達障害の診断を受けている。
女性は在職中、会社から泣きながら帰ってくる姿、夜中に声を押し殺して泣いている姿、過呼吸で倒れて泣き喚く姿など、「将来はここで働きたい」と言っていた息子の夢を打ち砕くような姿を見せてしまったこと、職を失うことになってから経済的にも困窮し息子にも大きな負担をかけてしまったことを申し訳なく思っているという。息子が母の姿を見て「障害者は頑張っていてもひどい目に遭うんだ」という考えを持つことを懸念する。
「社会はすぐには変わらないかもしれないが、⾏動すれば、必ず変化が起きるんだということを、裁判を通して、子どもに⾒てもらいたい」
先の見えない生活を送りながら裁判を闘う女性に、支援の動きが広がっている。障害者団体が傍聴を呼びかけている。第一回期日では小法廷で行なわれていた裁判が、第五回期日からはより大きな法廷で行なわれることになった。
最近、女性は、”Nothing About Us Without Us (私たち抜きに、私たちのことを決めないで)”という言葉を示したスマホケースのデザインを制作した。この言葉は、障害者団体の情報発信を通して知った。もっと広く知って欲しいと思い、この言葉を示すデザインのスマホケース、キーホルダーなどのグッズを作っている( 販売サイト )。
"Nothing About Us Without US"スマホケース(女性による note )
障害を持つ人々にとっての自己決定は課題である。しかし、「あなたのためを思って」と、本人の意思を聞かずに、先回りしてやったり、決めたりすることも差別になる場合がある―。「私たち抜きに、私たちのことを決めないで」とは、そのようなメッセージを持つ言葉で、障害者の権利擁護運動で語られてきた。
「私たち抜きに、私たちのことを決めないで」を合言葉に、障害者権利条約が作成された(日本は2014年批准)。
松井氏も、「最近の障害に対する考え方は、『社会モデル』が中心になっている。社会モデルは、障害を個人の属性と環境との相互作用によって発生するものと考える。障害者が感じる社会的不利は、社会に問題があり、社会の問題と捉えている。個人のできないことに着目するのではなく、個人のできないことを問題と捉える社会の障壁に着目していく。少し見方を変えると、障害者雇用は大きく変わる」と述べる。
障害者権利条約は、社会モデルの考え方を取り入れている。障害者雇用にも社会モデルの考え方が求められている。
女性は、裁判での会社側主張から、「悪気はなかった」「良かれと思って」というトーンを感じる瞬間が何度もあるという。「これこそ無意識のうちに向けられる差別や偏見」
そして裁判を起こしてから苦しんできたのは、相手側主張だけでなく、周囲からの言葉だった。
障害者採用で働く障害者の一部から、「元気よく挨拶するという基本的なことをやっていなかったのではないか」「自分のできないところだけを主張せず、できることもセットで提案すればよかったのではないか」「もっと仕事のスキルを磨こうと努力していたら、こんなことにはなっていないのではないか」などの声があったという。
女性は、「彼ら彼女らは何故、私ができていなかったと決めつけるのでしょうか。障害者雇用で雇われたのに、会社に雇い止めされるなんてきっとワガママ、努力不足、仕事ができないくせに権利ばかり主張する人に違いない。こうした障害者への偏見は、障害者の中にもある」と語る。
発達・精神障害への偏見にいまだ社会的合意のない日本 裁判報道のあり方にも、発達障害当事者ライターの目線で一石を投じる。
裁判報道では、もちろん双方の主張に目を通し、「こちらの立場に理がある」と断定するように誘導する伝え方は避けるのだが、問題は一方の側が人権や平等の思想に基づいた主張をしており、対して相手側がそれとは反対の人権や平等の思想を破壊する主張をしており、そしてどちらか一方が圧倒的に弱い立場である場合だ。
障害者問題についてあまり考えることのない人であれば、障害者の尊厳を傷つけるおそれのある主張を聞いても、なんとなく、「なるほど、そういう見方もあるのか」と感化されることがありえるのではないか。
話を戻そう。
筆者は、セールスフォース事件に限っては、当事者だけでなく、専門家の意見や障害者雇用実態を示すデータを入れるなどして、企業側の姿勢について「ここは問題がある」と示す内容や、障害者問題の裁判に伴う誤解や偏見についてを、適宜加えていくようにした。
そして「それでは中立性に欠ける」という批判が来ることをおそれてはならないこと、「その批判は当たらない」という姿勢を示していくことも、実践していかなければ、と考えた。
この状況で「中立性に欠ける」と言ってくる人は、「働く障害者は特別扱いを求めている」という見方をどのようにみるだろうか。
「働く障害者は特別扱いを求めているか」が裁判で争いになるのは、いまだにこうした見方がいわれのない偏見であるかどうかの社会的合意がない日本の現状を表しているのではないか。
特に見えない発達・精神障害への差別・不公正をなくし、正しい理解を進めていこうとする立場に立つならば、「中立性ありき」でどちらも一理ある主張であるように示すべきか。
筆者は、それでは障害者雇用を曲解した見方に感化される人が増え、良い影響はないと考える。もはやそれは偽りの中立性ではないか。
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