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転換点ごとの赤裸々な自分史





①ネットミームで学年の笑いものに(中学)

初めて恋をした中2の冬です。勇気が出なくて臆病だった私は、今では愚策でしかないですがLineで想いを伝えました。必死に考えたし、思いの丈をその当時の私なり伝えました。ある一文を書かなければ。

『バスケ(当時の部活動)よりも好きた」

この理解不能な迷言が中学生のわたしの人生の転換点になるなんて。

この理解に苦しむ告白振られました。そして、次の日にはタイムラインに掲載さ全校に知られました。タイミングが良かったのでしょう。英文法の比較級の例文にされました。

タトゥーよりも先に入れられたネットタトゥー。自分の恋の言葉はネットミーム。中2のわたしには大きすぎた傷で、他人を信じられず、学校という籠から脱げ出したくて他校友人とばかり過ごすようになり、地元を恨むようになりました。

知らない人に声掛けて仲良くなるコミュニケーションはこの時から出た強みです。


②人間関係というもの(高校)

埼玉でも有名な進学校に進学。うまく馴染めなかった。この原因は、私が幼い目線でしか見れてなかったからだ

1年の夏にクラスメートが中退した。いじめが原因だった。被害者からしたら辛いノリだったのだろう、しかし加害者は悪気がなく「あいつなんだよ」 って雰囲気で我関せず。それに腹を立てた。いくらペーパーテストができても、助けてと言うてくる子を無視してまうのかと。頭がいいってこういうことなのか、ずる賢く点数稼ぎのためにだけ生きる、そんな人が正しいのか。今までの人生観すら崩れ始めた。

そこから心は荒れ果てて、部活動も徐々にいけなくなり、真面目にメリハつけてこなせなくなり、サボることが平然になっていた。「自分はこうでありたい」という姿を学校で成績を残して、見返せば良かったが、諦め。そんなことで怒るなって自らに蓋をして、迎合するという形で学校に馴染んでいった。

車で帰る中、ある音楽に出会って、バンドマンが言う言葉が今でも自分の行動原理になっている。

全部言いたい時がある。でも、全部を言うと伝わらなくなる時がある。そこをグッと飲み込んで必要最低限の言葉だけ伝えられる人になりたいな。ばあちゃんはそれが美味かったな。

どんな辛いことでも受け入れて笑う人がカッコよく見えた。だから、人に優しくなれた。自分が助けたいと思ったらすぐ駆け出せる人になりたいとこの頃からなった。

我慢して世界を見渡す、もっと地元を離れた場所で自分という人間てどんな存在か知りたくなったのもこの時だ。


③うつ病と仕事との戦い

新卒採用で入社した会社、家業の協力会社。ほぼコネだからこそ、実力で見返して七光とかお膳立てされずとも、営業成績を残し、市場価値を上げる努力を惜しまないと挑んだ。

研修期間中の彼女との食事。ベンチャーだったということもあり、話すこと全てがカッコよくて嫉妬した。まだ自分工場のベルトコンベアで組立していた

AWグループの研修、正直あのときが一番の転換点だった。グループはやる気に満ちあふれてチームとしてバランスの取れたグループこれが新卒のライバルかって興奮したが、自社は喫煙所で群れているだけ。これがなんの意味になるか不思議だった。そこから同期と距離を置き、自分一人になった。毎日話す相手もいなくなり、その孤独な夜が心を壊した。その日、首に縄をかけ、包丁を頸動脈に当てた。けれど、死ねなかった。今までのキャリを否定された気分で、彼女が全てにしか思えなくなった。

部署はエンジニアで、求めた世界ではない。作業着で飲んでただけで馬鹿にされてイメージ最悪・得意でもない工具ができないことをいじられ目的のないルーティンワーク、精神病患者は上司のやらかしだと声高々に伝える。それでも得意なパソコンスキルで見返してやると、資料業務は自分の土俵にし業務改善提案まで。ただ、人の感情までは煽動できなかった

抜け出すには経験値が足りない。完全に八方塞がりでそれを酒で誤魔化して。

そんな日々を変えるため。感情の起伏と闘いながら転職活動・勉強








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