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コーヒーの魔力。

とある夜の夕べ。コーヒーショップには、様々な人々が訪れる。時間帯によって、使い方は千差万別。

とある夜の風景。濃い目のコーヒーを飲み、一瞬クラっと立ち眩みがした。仕事を終え、帰り支度で気ぜわしい時間に、お酒がアレルギーの私は、いつものごとく、フラりと、とあるコーヒーショップに立ち寄った。顔なじみの客、店員さん。また、見かけぬお客さん。この時間になれば、お酒を飲んでいない私でも、昼間の疲れから、何やら、普通の感覚で、少しハイになる。何をしているわけでも、先程述べたように、お酒を飲むわけでなく、安堵感から、いつもより口が滑らかになる。皆さんも似た経験があると思うが、そんな似た経験は、お堅い方々にもあるのでは。日常に帰り、それを喜ぶばかりで、皆、私の冗談話を楽しみにしてくれる人が多いのは、私は、役得であると心得る。教師の資格を持っている私は、どうやら、話す不特定多数の人々に、嫌悪感を抱かせないように、読み聞かせをしている話癖がある。先生は、政治に出るのですかといった小話もあるが、そんな気は全くない。ある方の口を借りるなら、南島は、失言だらけで、だめと不適合だと判を押されるだろう。

自分にとっての普通がこれだから、といって、そうでなければといったプレーシャーもなく、ある意味の気楽さで生きている。この気楽さは、ある意味、酒場の気のいい親父のように、皆さんの理解と共に成り立っている。この暗い事件が多い世の中だからこそ、かもしれない。だから、笑える、泣ける時間が必要だと思う。何が、笑える、泣けると言えば、ただクスリと笑う。そんオフタイムの時間で、意外と頑張れたりする。まだまだ、捨てたものでないと思える。そんな時間の積み重ねが。味方がいるだけで、何とかやれる。言葉上でも、所属を超えた仲間がいる事の共有の場。そんな、街角スポットは、探せば、色々とある。様々考えるだけでなく、フラりと訪れた旅先でも、皆がある程度の寛容さでいる。これこそ、安全な場であるというのは、昨今のニュースを見て首を傾げる角度が変わり、何となしに縦に首を振る、わかるわかるといった

言葉にも結び付きそうである。