日本映画学校の閉校(2013年)/相山武靖
「日本映画学校」は2013年3月に閉校しました。
神奈川県川崎市麻生区にありました。多くの映画人を輩出してきた。37年の歴史に幕を閉じました。
1975年に今村昌平監督が設立
日本映画学校の歴史は1975年にさかのぼります。
「横浜放送映画専門学院」という名前で、横浜市に設立されました。
映画監督の今村昌平氏が創立しました。
「うなぎ」「楢山節考」で2度のカンヌ最高賞
「うなぎ」「楢山節考(ならやまぶしこう)」で、2度にわたってカンヌ国際映画祭の最高賞(パルムドール)を受賞した巨匠です。
学校の設立は、「失われつつある映画撮影所に代わり、映画製作を志す若者を養成する」という目的でした。
10年後、専門学校となり、「日本映画学校」に改編しました。
1986年に横浜市の隣の川崎市の麻生区新百合ケ丘に、移転しました。
卒業生:李相日、谷口悟朗ほか
卒業生は5000人超。
この中には、日本映画界を引っ張るようになった著名監督もいます。
例えば、「踊る大捜査線」シリーズの本広克行監督。
「悪人」で毎日映画コンクールの日本映画大賞を受賞した李相日(リ・サンイル)監督。
ワンピース映画「ONE PIECE FILM RED」の谷口悟朗。
初の単科大学「日本映画大学」へ移行
日本映画学校が発展する形で、2011年に日本映画大学が開学しました。
日本初の映画単科大学でした。
これに伴い、在校生が卒業する2012年度末で、日本映画学校は閉校となりました。
閉校式
2013年9月には、閉校式が川崎市麻生区万福寺の同大で行われました。
関係者や卒業生約130人が集まり、創始者の映画監督今村昌平氏の建学理念を改めて確認しました。
式典では卒業生の座談会が行われました。
佐藤忠男学長の挨拶
テレビドラマ「空飛ぶ広報室」などを担当し、「罪の声」で日本アカデミー賞の脚本賞を受賞した野木亜紀子さんは「個性の強い人がいっぱいいて、テレビ業界に入っても驚かずにすんだ。大学になってもタフな人のいる場所であってほしい」と話しました。
また、卒業生から日本映画大学の学生に、今村氏の建学理念の言葉「個々の人間観察をなし遂げる為にこの学校はある」などと書かれた色紙が贈られました。
あいさつに立った佐藤忠男・日本映画大学長は「今村さんの理念をしっかり引き継いでいく」と述べました。
相山武靖