戦後の大量生産時代のデザイン~大江正篤
広告とデザインのどちらに金をかけるかというある調査で、95%が広告だったようです。商品を作るためのハードより、イメージ作りのソフトに使われる費用の方が多くなってきています。
お金を出して見返りを期待するような企業はダサイとする社会でなければなりません。それが企業のイメージアップにつながるからです。
戦後の大量生産時代には、それぞれのメーカーに製品を貫く特色が少なかったです。
その後、自分たちのアイデンティティーを求めてCIに取り組むようになりました。
ただ、一部の企業のマーケティングは多様化と差別化をごちゃまぜにしているところがありました。
そのため、結果的にブランドをはずすとどこのメーカーの製品なのか分からなくなる、という事態が起きました。
企業のデザイナーは見かけだけの差別化から脱皮する必要に迫られました。
人間の行動をデジタル化してSFにならないか
インターネットが普及する前、パーソナル新聞の研究が注目を集めました。個人の生活、職業に合わせて情報を送り届けるというものです。
電子テクノロジーの時代には、技術はただいろいろな物がほしいという欲望を拡張するためではなく、こうしたパーソナルなデザインのために役立つことが期待されていました。
人間相互のコミュニケーション、言葉のほかにも身ぶり手ぶり、視線など、これからの電子技術はそういったものも扱うのでしょう。
神経系統や微小な分子レベルの問題を含め、新しいデザインはつくられると思います。しかし、人間の行動をそのようにデジタルに解析することに疑問もあるようです。
自然界の偉大な複雑さや人間の行動を再評価しなければ、SFの世界になってしまう危険性があると思います。
機械はもともと私たちの体の一部から発展したものでしたが、今ではテクノロジーが人間の中枢神経に代わるような状況になっています。
現代技術のもつ暗い面を書いて、近未来を詳細に描いた作品もあります。
SFの書き方が変わってきているということです。
大江正篤