「多様性」と言う名の抑圧
昨今の世の中は「多様性」が叫ばれていますが、果たして本当に多様な社会でしょうか。
男女共同参画社会と言われて久しいですが、女性が男性に合わせても男性が女性に合わせても歪みが生じます。多様性を受け入れるというか、今の状態は「どちらかがどちらかに無理矢理合わせている状態」です。
それぞれの特性が生かせ、なおかつ自由でいるためには、人は「共存」するべきではないと私は思います。しっかりとその人が自分らしくいられる場所を用意することで初めてすべての人が社会に参加できるのではないでしょうか。
現在の日本は「助け合い」をテーマに掲げ、多様性という言葉を悪用し国民に我慢を強いています。国家が本来するべきことは国民にマイノリティを受け入れさせるのではなく、マイノリティが活躍できる場を用意することです。そうしない限りうつ病、争いが日本からなくなることはないでしょう。
他人の顔色を伺いながら何でも受け入れることが多様性を受け入れることだと言うのであれば、多様性は社会を滅ぼすものです。元々、人間は多様に見えて幾つかの要素が組み合わさっているだけであることもあります。それを解きほぐす努力をしないのはただの怠慢です。できもしないことを許すのは多様性と言う名の退廃です。