失われた「環状島」|斎藤環(精神科医)|note
奇妙な健忘 歴史上もっとも奇妙な健忘状態、その一つとして「スペイン風邪」を挙げたとしても異論は少ないだろう。鳥インフルエンザに起因するこのA型インフルエンザウイルス(H1N1亜型)は、全世界でパンデミックを引き起こし、最も多い推定で1億人が死んだとされている。 ...
https://note.com/tamakisaito/n/n8aa4dfb5861c
最近もっぱらnoteで活動しているため、更新がままなっていませんでした。
コロナ・ピューリタリズムについて書いた記事だけ、何故か閲覧数が伸びているため、再度コロナに関して雑感を書いてみます。
前回、私がとても好きな精神科医斎藤環先生の文章を紹介しつつ、雑感を述べました。
「環状島」とは何か、については是非先生の文章を読んでいただければと思います。
この文章はとても示唆に満ちていて、興味深く感じました。
・歴史上もっとも奇妙な健忘状態、その一つとして「スペイン風邪」
これがテーマです。奇妙な健忘状態の理由は様々考えられるようですが、その一つとして具体的(モニュメンタル)な日付や場所が存在しないという点に注目しています。どういうことでしょうか。
例えば、9.11や3.11のような歴史的事件や災害はその日付と地点が明確であるため、忘れられないということです。こう書いてしまうと非常に単純なことのように思われます。
環状島とはドーナツ型の島ですが、この中心にあいたグラウンド・ゼロがあることで我々はトラウマを社会的に外傷化できるわけです。グラウンド・ゼロが成立するためには、時間と場所が必要になる、では、それがなければ?ということです。
奇妙な健忘と書かれていますが、私はそもそも健忘するほど記憶されていないということなのだと考えました。コロナの渦中にいながら私たちは健忘しているのだと。
あるいは、次のようにも言えるかもしれません。私たちの時間軸上に存在しない災厄なのではないか。つまり、スペイン風邪は今もなお続いているという考えです。健忘していると言われる割には、コロナの話題が出始めたあたりからスペイン風邪とセットで語られていたような気がします。
出来事や、歴史は私たちのコントロール下にあることで成立しているように考えられます。コントロールとはどういう状態を指すかといえば、出来事の日付と場所を設定することです。
例えば少し視点を変えてみましょう。例えば、私たちは地球温暖化がいつどこで始まったか答えることができるでしょうか?この問いは半ばナンセンスでしょう。何故ならば、環境問題は人類の歴史とはメタレベルにあるからです。
私たちが疫病を歴史化(記憶化)することが困難なのは、環境問題のように私たちは疫病に内包されているからだと言えるのではないでしょうか。