ハッセルブラッド日本法人のスタートアップに参画した理由
みなさん、こんにちは。高澤と申します。
ハッセルブラッドの日本法人は、2012年の夏に立ち上がったと記憶しています。私はこの日本法人に2012年10月よりジョインしまして、2年間ほど、色々な業務に携わらせていただきました。この記事を書いているのは2018年ですので、だいぶ前のことになるのですが・・・今回は当時のことを振り返りつつ、自身がどんな思いでこの会社に参画し、業務に取り組んでいたのかを書いていきたいと思います。
私は主にハッセルブラッド製品のカメラやスキャナの使い方を代理店の営業さんや顧客に対して行っておりました。製品の魅力を伝えるために、毎週ハッセルブラッド・オープンスタジオという少人数性のワークショップを開催し、毎週被写体やロケーションを変えて少人数制のハンズオンのワークを行なっていたのです。
私はハッセルブラッドに参画する前、広告写真家向けにスタジオ機材の販売をしていました。写真スタジオで使うスタジオライティングやバックペーパー、ライトスタンドと言ったものですね。証明写真を撮るスタジオなど足を運ぶと見かけるものだと思います。その中でも私の販売分野はデジタル商材。具体的に言いますと、デジタルカメラやコンピュータ(Mac)、カラーマネジメント関連のツールを販売していました。当時デジタルカメラは、単にデジタルカメラと言ってもプロの写真家が使う機材は、一般的なカメラメーカーの機種ではなく、中判サイズのデジタルカメラがほとんどでした。
当時のデジタルカメラは、コンピュータとカメラをケーブルでつないで撮影を行う(テザー接続とも言いますね)ことがほとんどでした。今でもそのスタイルは変わっていないかもしれません。お客さんとなるフォトグラファーに対してカメラだけを提案するのではなく、コンピュータと接続した撮影をデモ実演したり、時には撮影の現場に立ち会って撮影の仕事をお手伝いしながらカメラを販売する。ということを行なっていました。
私は販売店の立場でハッセルブラッドのカメラを販売していましたが、奇跡的にも?当時はハッセルブラッドのカメラを扱えるディーラーも、説明員もいないという点が自分にとっては好点につながりました。後から聞いた話ですが、業界の中でも「あの製品を扱うのは私」と言われていたらしく、本国の人と会う時も、実績を評価してもらっていたようでした。
そんな中、ハッセルブラッドの人ともFacebookで繋がり直接コミュニケーションをとることも増えてきました。そんな中で日本法人を立ち上げるという計画があり、自身がアサインされたのです。当時の自分はそれなりの販売実績もあったことや、日本法人がイチから立ち上がるという瞬間に携われるという思いの二つが重なり、雇用契約のことなど全く考えずに参画しようという気持ちになりました。
そんなこんながありまして、私はハッセルブラッドジャパンの初期メンバーとして迎え入れられたのです!
とはいえ、私が販売していた台数は本国の目標からすると程遠い数値だったようです。日本はカメラ大国だからもっとたくさん販売できるはず。という本国の思いがあったようです。思ってもいない言葉を伝えられた私は個人でモノを販売する限界を感じたような気がしました。しかし、その一方でもう一つの案が浮かんできました。私と同じような販売員がもっと増えれば国内での販売台数は増えるのではないか?当たり前といえば当たり前なのですが、ハッセルブラッドをともに販売する人を増やすという前向きな考えになれたのは自分にとっては好都合でした。
その後は代理店が4社ほど増えまして、日本法人ができる前よりは販路が増え、認知も上がったのではないかと振り返っております。とりまとめの悪い文章ですが、ご覧いただきありがとうございました!
ハッセルブラッドのオープニング当時の動画が残っていたので、ご参考までに。 https://www.youtube.com/watch?v=HydmRPPXPtY