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Panda Vfilmについて

私、斑多笹仁は高校卒業後すぐに、動画編集代行サービス「PandaVfilm」をフリーランスとして立ち上げ、現在まで活動しています。このストーリーでは、PandaVfilmを立ち上げるに至ったまでの経緯をお話します。

高校時代私は、動画編集や映像制作を活動の主体とする「N Movie Creator」という同好会を立ち上げ、会長として活動をしていました。
在学していた高校が角川とドワンゴが設立したN高等学校ということもあり、勉強というよりは動画編集や動画制作のスキル上げに専念できた高校生活を送れたと自負しております。
しかし、私の中で高校卒業後の大きな懸念点がありました、それが「私はハンディキャップを持ったまま企業に就職できるのか」という物でした。
そのハンディキャップというのが所謂「読字障害」「書字障害」という病気です、個人差が大きく出る病気ですが、私の場合「”紙媒体”での文字の読み書きが難しい」という学習障害に当たる病気です。
これは学校生活や通常生活、特に紙媒体の書類を使う企業に就職するのにとてもハードルとなる病気です、私はその病気を生まれた頃から持っており、この18という年齢になり不安感がピークに達しているときでした。そんな時、私がプレイしているソーシャルVRサービス「VRChat」で一緒に話していた友人達にこの病気のことを打ち明け、就職に関しての相談をしました。
すると、友人達は快く自分の病気を聞き入ってくれて、なおかつ就職に関して様々な協力をしてくれる事になりました、しかし多くの紙媒体の書類を使う、通常の企業に就職する事は難しいとなりました、そこで見つけたのが「個人事業主・フリーランス」という概念です。
私にとても合った物でした、早速フリーランスとしてのスキルを磨き、契約関連の知識や個人でもできる営業の知識を卒業直前に急ピッチで仕上げました、そして高校卒業後開始したのがフリーランスとしての動画編集代行サービス「PandaVfilm」です。
私はこのフリーランスとしての活動が好きですが、もっと様々な知識やスキルを身に着けたいと最近思い始めました。そこで自分のハンディキャップを乗り越えられる様、様々な工夫や努力を続けています。

とても長く、つたない文章になってしまいましたが、以上が私、斑多 笹仁がPandaVfilm並びにフリーランスとして活動するまでの経緯でした。
ここまでご覧いただき、本当にありがとうございました。

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