私たちの社名は、「世の人々が嬉しくなる一番の酒造りを目指す」ということで閑院の宮様から名付けてもらいました。創業100年以上の継続している造り酒屋です。
地元に根差した企業として、岩手県一関市で清酒醸造を行っておりました。
しかし、二代目社長が事故により急折し一時倒産の危機に見舞われました。
そこで三代目が、清酒製造を共同醸造とし、他の酒蔵と共同で当社のある場所から30km離れた場所で酒造りを継続しつつ、今ある蔵を改築しクラフトビールの醸造「いわて蔵ビール」、郷土料理レストラン「せきのいち」、「酒の民族文化博物館」、「直売所せきの市」などに変え蔵の存続を行いました。
その理由は、時当、社の蔵を壊して跡地にホテルやスーパーを設立しようという話がでたのですが、蔵を壊すのはもったいない、蔵のある地域の風景は地域のもので、たまたま世嬉の一が管理しているだけなので、残せるなら残したいという思いで、多額の借金をし、酒造りをこの場から離れたとしても蔵のある風景を守るという選択をしました。今から45年前のことです。
当時の二代目とその妻は、酒造りからいきなり、観光業、サービス業の変革に非常に苦労しました。その間に様々な人に助けられ、郷土料理レストランの成長、クラフトビールいわて蔵ビールの成長などで借入金も返し、酒蔵を復活させようという話が持ち上がりました。
四代目(現社長 佐藤 航)が20年前に世嬉の一に入社し、酒造りの再開を目指しましたが、当時の地ビールいわて蔵ビールの不振で経営が悪化し、まずはクラフトビール部門を復活させようと努力しました。その結果、品質もよくなりファンもでき、現在は海外からも引き合いの多いビール部門になりました。
そこで、次は日本酒製造を本格化しようと思った矢先、東日本大震災に見舞われ、蔵が崩壊しその復興に10年を要しました。そしてやっと今度こど酒蔵復活を願って自分たちの生まれた場で祖業である酒造りを復活させようとプロジェクトが立ち上がりました。
酒蔵復活は2022年8月完成に向けてスタートしたばかりの事業ですが、実は40年前から当社として切望していた事業です。そして今後10年中心に据える事業になります。