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株式会社デジリハ / 代表取締役 (CEO)
1981年東京生まれ。幼少期の8年間をサンフランシスコで過ごし、音楽漬けで帰国。母と祖父の病気や死がきっかけで高齢者介護・障がい児支援の仕事に従事。現在は医療福祉がテーマのクラブイベントや謎解きイベント事業・居宅介護や重度訪問介護や移動支援などの福祉事業・デジタルアート型リハビリコンテンツ事業・福祉留学事業・レコード屋などを展開中。 https://linktr.ee/UQLINK
デジリハをグローバルプロダクトに育てること。
NPOから株式会社に分社化し、事業を国内外に大きく展開していきます。
僕はエジプトの考古学にとっても興味があるのですが、それは中学生の頃に遡ります。いや、小学生か。アメリカに住んでいた頃に友達と遊ぶよりも校庭で土を掘り起こして石を探すのが好きな僕でした。理由はわからないのですがそれから石集めにはまり、ネバダやフロリダやカナダやハワイなどで良き石を見つけては持ち帰っていました。日本に帰る11歳になる頃には石のコレクションは増え、標本箱に並べたりデカい箱にぶち込んだりしていました。もちろん化石とか恐竜にも興味はあったのですが、それよりも、デカい石の造形物であるエジプトやマヤのピラミッドに興味が傾いていきます。中学校1年生の頃に将来の夢という欄に書いたのは考古学者という文字でした。母親にもそれを伝えると、「あんた考古学といえば早稲田の吉村先生よ」と言われ、吉村作治さんの講演会に応募。実際に聞きに行ったのだ。その講演会で見た数々の新聞の切り抜きと整理された考察に感動し、僕も翌日から新聞の考古学や歴史の欄を読んでは切り取ってスクラップブックにするという習慣ができた。それから3年間で数冊のスクラップブックになったのですが、考古学というキーワードを深掘っていくと徐々に世界各地の少数民族の文化に辿り着きます。少数民族ごとに言語や衣装や楽器や食事の違いがあり、それがめちゃくちゃ面白いなと感じるようになりました。しかしその歴史を見ていくと、西洋の大国(自分が暮らしていたアメリカやそのルーツとなるヨーロッパ)が少数民族の迫害に加担し、開拓の過程でどんどん隅っこに追いやってきたことを知りました。無性に悲しくなり、どうしてそんなことをするのだろうかという疑問が出てきました。高校生になる頃にはそういった迫害の歴史や現状を音楽で伝えようと活動していたRage Against The MachineやN.W.AやBeastie Boysなどのヒップホップやミクスチャーの音楽にハマっていきます。そのメッセージ性もそうですが、己の内側にある怒りや悲しみを爆発させて、文字通り爆発音のような激しい音で表現して暴れ回りながらライブをしている行為そのものがカッコいいと思うようになりました。それからライブハウスやクラブに通い、自分が今まで感じてきた怒りや悲しみをモッシュピットの中で表現していました。そのまま大学生になり、911のアメリカでのテロが起こります。自分が育った国が攻撃されていることへの怒りもありましたが、その背景にあるアフガンや中東諸国への迫害の歴史も見え隠れしてなんともいえない悲しい気持ちで過ごしていました。けれど下を向いてばかりもいられないと思い、その後大学内に世界平和推進委員会という組織を作りました。今考えると何だその名前はと笑ってしまいますがその頃は本気でした。勉強会を開いたり反戦デモに参加したりしていたのですが、そんなある日自分が参加する反戦デモの最前列が警察と衝突します。暴力でぶつかるその様子を目の前で見ながら、「反戦って言いながら暴力で戦っているじゃないか」ということに気付きます。これはいけないと思い委員会を脱退します。自分にできることがなんなのか模索していたときにアボリジニの民族楽器であるディジュリドゥと出逢います。僕が憧れていた民族雑貨の店員さん(のちのキング)がその怪しげな棒を吹く姿に一目惚れし、その人に声をかけてその日にディジュを購入します。そこから民族楽器とその文化を深ぼる生活が始まります。文字通り楽器と共に起きて寝るような生活を繰り返し、駅前で演奏活動をするなかでどんどん音楽仲間が増えていきました。しかしストリートで活動をしているとすぐに警察や警備員の厄介になります。それが何度も続き、嫌になりどこか会場を借りてイベントとしてやろうかなと思うようになりました。数ヶ月後にはイベントを始めて集客をしながらライブやDJや展示やトークを織り交ぜながら開催していました。反戦デモやっているより自分はこっちのほうが合うなと思うようになり、イベントオーガナイザーとして生きていこうと思っていた矢先に母親が倒れます。その半年後には癌で亡くなってしまいました。考古学に興味がある僕にその道を最初に開いてくれた母が亡くなってなんとも言えない深い悲しみの中で暮らし始めました。下を向いている僕にキングは「ゆーく、レイブに行こう」と誘ってくれました。その数ヶ月後にディジュやジャンベを持ち込んで参加したのがあの伝説となった「武尊祭」でした。今でも忘れない。霧の中の山を登り会場にたどり着くと遠くから聞こえる爆音と幻想的な照明。霧に包まれレーザーと照明と雨と音を浴びながら自分の悲しみが浄化されていくような感覚だった。あー音楽や芸術ってこんなにも全てをぶつけてきて飲み込んで洗い流していくんだなぁという概念的な感覚をフルに受けながら下山しました。自分もそういう体験ができるイベントがやりたい。そういうイベントの中では国籍や性別や年齢がなんだろうと関係ない究極の空間が創れるのではないか?そしてそれがこの地球という場所を国ではなく惑星ととらえたときにはごくごく普通のことであり、迫害したり戦ったりする必要なんてないんじゃないか?と感じるようになりました。それが僕の考え方のルーツであり、なぜイベントという手法を活用したいかの理由です。その延長に全ての事業が成り立っているという感覚があります。そして『今』僕が何を考え何をしようとしているのかを分かりやすくまとめているのがこちらの動画。テレビ東京の高橋プロデューサーとタレントのスザンヌさんと対談させてもらい、公開から一日で2万回再生されています。ぜひ見てみてください。
医療福祉とエンターテインメントを融合させたプロジェクトを展開