総務省が今年発表した「令和5年 労働力調査年報」によれば、転職等希望年間の平均数は初めて1000万人を超えて1007万人となり、まさに大転職時代が到来しています。若手を中心に転職のハードルは大きく下がり、個人にとってはキャリアの選択肢が広がったと言われる一方、定着率の低下に頭を悩ませている企業や採用担当者も少なくありません。大転職時代に優秀な人材を定着させるファクターとなるのが「働きがい」ですが、働きがいを向上させる職場となるには、何が必要となるのでしょうか。
今回は「職場をすべての人にとって『働きがいのある場』に変えていくことを通じて、よりよい社会の実現に貢献」することをミッションに掲げる、Great Place To Work® Institute Japan(以下「GPTW Japan」)の植田 若葉さんから、WantedlyのEngagement事業部 事業部長 橋屋優理が、入社後も人材が定着する組織の作り方やその秘訣について話を伺いました。
対談者プロフィール
Great Place To Work® Institute Japan|マネジャー|植田若葉
新卒でリクルートスタッフィングに入社。
2016年リクルートマネジメントソリューションズに転籍し、営業職として担当顧客企業が抱える人・組織課題に対するソリューション提案を担う。
2022年よりマネジメント職としてGreat Place to Work(R) Institute Japanに参画。事業戦略の策定、組織マネジメントを担う傍ら、自らもコンサルタントとして「働きがいのある会社」調査の分析・報告、顧客の働きがい向上支援を行う。
ウォンテッドリー株式会社|Engagement事業部事業部長|橋屋優理
シャープ株式会社にて営業企画のプロジェクト立ち上げを経験。
以降、医療・介護・福祉の領域を中心に複数のHR事業の責任者を担う。
事業推進の過程で「仕事を通じて、組織や人が幸せになること」の難しさに直面し、組織開発や従業員エンゲージメントを自身のキャリアのテーマに据える。
現在はウォンテッドリー社でEngagement事業の推進を通じ企業の組織開発の改善に取り組んでいる。
1:なぜ人材が定着しないのか?
「マッチング」と「オンボーディング」のミスマッチが早期離職を招く要因に
橋屋:本日はよろしくお願いします。まずはGPTWと植田さんのプロフィールをお聞かせいただけますか。
植田:GPTWは世界150カ国以上で、グローバルに働きがいに関する調査を行っている機関です。私はGPTW Japanのマネージャーとして、お客さまへの調査の案内のほか、調査結果を活用してどのように働きがいを高められるのかという、具体的なサポートを担当しています。
橋屋:GPTW Japanのクライアントには、どのような業界・業種の企業が多いのでしょうか。
植田:業界では情報通信業、いわゆるIT業界やコンサルティング、広告・マーケティングといった企業が多いです。恐らく、人の価値がそのまま経営資源や事業価値につながっている業界の企業によくご利用いただいているのかなと考えています。最近は社会全体で働きがいを重視するフェーズに入り、さまざまな業界の企業に浸透しつつありますので、クライアントとなる業種の幅は広がっています。
橋屋:「働きがい」は、人材定着に欠かせないファクターとして企業側・転職者側のどちらからも注目されていますね。定着してもらいたい・定着したいという意向の一方で大転職時代を迎えています。採用そのものが難しくなっているのに加えて、中途採用した人材がすぐ離職したり、なかなか活躍できなかったりといった、人材がうまく定着しないという悩みを抱える企業が非常に増えていると感じています。その理由はどこにあると、植田さんは考えますか。
植田:定着する前に採用者の離職が続いてしまう場合、「マッチング」と「オンボーディング」の2つのポイントでミスマッチや齟齬が起きていないかをチェックする必要があります。この2つは採用・定着における両輪であると同時に一連になっているため、合わせて見ていかなければなりません。
オンボーディングは「組織適応」「業務適応」「キャリア適応」の順。カルチャーフィットを最優先に
植田:私たちが注目する「働きがいを高める」という視点からお話ししますと、採用者が企業になじんで働きがいを感じるようになるには、3つのオンボーディングのステップの順序を守ることが大切です。
最初のステップが組織適応で、カルチャーフィットとも呼ばれます。業務での困りごとは誰に聞けばいいか、どんなツールを使って聞くのがいいとか、つまり、どのような聞き方をすれば的確な答えが返ってくるかが分かってくるのが、組織適応の第一歩です。
続いてのステップは業務適応です。業務のやり方・進め方が分かってきて、仕事を自分で進められるようになったり、ある程度の成果が出てきたりする段階です。
三つ目はキャリア適応といって、成果を出せるようになって自信が付き、この企業で成長していけるという実感が得られたり、次にやりたい仕事が見えてくるようになる状態です。
定着前の離職が続く企業でよく見られるのが、組織適応と業務適応の順序を逆にしているケースです。この順序を誤ると、企業内でのコミュニケーションを取れず、その企業での仕事の進め方が分からないまま成果が求められることになります。入社した側には強いプレッシャーとなり、採用した企業側からは「成果が出せない・仕事ができない」と感じられてしまいます。このギャップが、お互い望まない離職につながっていると考えられます。
「組織のカルチャーが作れていない・言語化できていない」という根本的な問題に目を向ける
橋屋:確かに、オンボーディングのタスクが自分に落ちてきたときは、営業のロールプレイングは誰に、プロダクトを覚えてもらうのは誰に、と組み立てのイメージがしやすいですが、組織適応のほうは人事マターになりがちかもしれません。また、順序を重視する視点を、私自身はあまり持っていなかった気がします。組織適応が抜け落ちてしまっている企業も多いような印象を持ったのですが、より確実に定着できるようにするには、どのような対処が必要になるのでしょうか。
植田:カルチャーフィットができていない人材がいたとき、「この人は自社のカルチャーに合っていない」と考えてしまいがちですが、実はそもそも組織のカルチャーを作れていなかったり、可視化ができておらず、共通化できていなかったりするのが根本の問題であることが多いのです。
自分たちは何を目指し、何を大切にし、このように行動する文化がある、ということが言語化できていれば、採用時にもオンボーディング時にもおのずと一貫性のあるものとして現れます。すると、入社する人は採用から入社の課程で一貫した体験を得ることができます。ところが、カルチャーが社内で共通化されていないと、採用のときにはこう聞いていたのに、入社したら別の人や上司からはまた違うことを言われた、という印象を与えてしまいます。フィットすべきカルチャーを作り、確立することがもっとも大切だと思います。
企業側から意識を変革し、目標の見通しを共有した組織適応を心がける
橋屋:なるほど。そもそものカルチャー作りにおける企業の取り組みが要因になっているのですね。同じカルチャーフィットのやり方でも、なじみの早いメンバーと時間が必要になるメンバーとがいる場合、メンバー側の違いについてはどう理解すればいいのでしょうか。
植田:コミュニケーション能力の差と感じてしまうかもしれませんが、実は先ほどの課題と根本は同じだと思っています。先に組織適応しなければならないところを、業務適応を先にしないとならないと考えてしまっているのではないでしょうか。
自社で採用された方なので、皆さんコミュニケーション能力もスキルもあるはずです。ご本人が感じている期待が逆になっているのが要因だと思います。
橋屋:組織適応と業務適応の順序を、採用者側も逆にとらえているのかもしれませんね。この意識を変えるには、企業側と採用者とどちらから働きかけるべきでしょうか。
植田:これは企業側が先ですね。特に中途採用では「中途採用者=即戦力」との考え方が長らく続いていましたが、即戦力化するためには組織になじんでもらい、企業の行動指針を体現する人材が必要です。まずは企業側がしっかりと全社的な考え方や事業の方向性を擦り合わせるところからスタートするのがよいと思います。
橋屋:ありがとうございます。今のご説明で理解が深まりました。組織適応についてはどのくらいのスケジュール感を想定するとよいのでしょうか。
植田:企業のキャリアスパンにもよりますが、期間よりも大切なことは採用する側・採用される側とのイメージ擦り合わせがされているかです。
働きがいのある会社として認定させていただく企業の事例では、入社後三か月での姿、半年後の姿、1年後の目標を一緒に描きながら組織適応を進めています。例えば「三か月後には誰にでも質問できるようになっている」といった目標の立て方ですね。目標がスキル面だけで設定されていると、先ほどのお話のように組織適応と業務適応の順序が逆になってしまいます。
橋屋:確かに職務適応のほうがロジカルに言語化しやすいので、先に設定されがちかもしれません。同様に組織適応もロジカルに、スケジュールを切って意思疎通を図るようにすると、メンバーも積極的に目標に向かうアクションが自発的に取りやすくなりますね。
2:働きがいとは何か?
「働きやすさ」+「やりがい」=「働きがい」
橋屋:働きがいとは何か?という疑問について深掘りしたいと思います。働きがいを因数分解するとどうなるのか、ぜひ伺いたいです。
植田:GPTW Japanでは、「働きがい」は「働きやすさ」と「やりがい」の両面からなると考えています。
「働きやすさ」とは、オフィスがきれいか、テレワークが可能か、労働時間がフレキシブルか、納得できる給与額かといった目に見えやすいものです。「やりがい」は、仕事に意義や意味を感じているかどうかという、周囲とのコミュニケーションの動機付けになるもので、目には見えにくいものです。この両方が備わった状態を「働きがい」と定義しています。
橋屋:納得感がありますね。また、やりがいが大事だというのは誰しも当たり前のように感じていると同時に、危機感や問題意識も抱いていますよね。植田さんのお話から、最近は「やりがい」よりも軽視されがちな風潮があると感じている「働きやすさ」が重要だと再認識しました。
企業規模にかかわらず「働きやすさ」「やりがい」をどちらも重視しないと働きがいは保てない
植田:その感覚は、Wantedlyで多くのお客さまに接している橋屋さんだからこそだと感じました。大手企業はどちらかというと「やりがい」に危機感を感じていらっしゃいます。一方で、中小企業やスタートアップ企業、特にWantedlyに掲載されている企業は、特に「やりがい」の価値観を重視されているので「働きやすさ」というベースが大事になると思います。企業がスケールアップする時期には、これまでとはタイプの異なる人材が増えていくなか、事業理念が浸透しづらいという悩みが増えるのはよくあるお話です。
橋屋:企業の規模やフェーズによって、充実しているところが真逆になる構造は、確かにありますね。スタートアップは「働きやすさ」を体現する難しさが、逆に大企業や歴史のある企業では「やりがい」を新しい世代にも提示し続ける難しさがあるのかもしれないですね。「働きがい」を高めるアプローチにおいて、例えば「働きやすさ」と「やりがい」のどちらを重視すべきか、企業規模による差はあるのでしょうか。
植田:企業規模にかかわらず、「働きやすさ」「やりがい」とどちらも重視しないと、継続的な働きがいは保てません。企業規模によって置かれている現状が異なることによる課題の違いはありますが、目指すところは同じです。特に働きがいの高い企業では10人規模でも、1万人規模でも、MVVが言語化され、社内に浸透している点は変わりません。
3:働きがいの高い企業に共通点はあるのか?
共通点は「MVVの言語化」と「隅々まで浸透する制度」
橋屋:「やりがい」を強化していこうと考えたとき、最初のステップとして取りかかりやすいアクションはあるのでしょうか?
植田:働きがいが高い企業に共通しているのは、ミッション・ビジョン・バリュー(MVV)がしっかり言語化されていること、それらが社内の隅々まで浸透するような首尾一貫した施策や制度、福利厚生などの施策が担保されていることの2つです。取りかかりやすいアクションから始めるというよりも、従業員が働きがいを感じているかに耳を傾けながら、MMVの言語化と一貫した制度を構築することが大切になります。
橋屋:MVVの言語化と浸透は、私たちWantedlyの事業を通じてお手伝いしているので、働きがいの高い企業ではどのようにされているのか、気になります。
トップによるコミットメンの発信は必須
植田:トップのコミットメントは必須です。人事部や社長室、経営企画など組織が具体的に動いている場合でも、コミットメントの発信は必ずトップが行っています。
橋屋:確かに、代表者がコミュニケーションを担うと、矢印が一気にそろうというか、方向性が明確になりますよね。
植田:カルチャーへの方向性がそろってくれば、トップから発信せずとも、採用活動やオンボーディングに自然と現れてきますが、特に浸透し始めはトップによるコミットメントは欠かせません。
橋屋:浸透を目指しているのに、うまくいっていない企業や難しさを感じている企業とのギャップを生む、課題やボトルネックはどこにあると考えられますか?
植田:浸透させたい理念とこれまでその企業が大切にしてきた文化や背景とが一致していないために、机上の空論になってしまっているという問題が少なからずあると思います。例えば、人事評価制度や会議体での進め方や、情報開示のルールなど、その企業のルールがありますよね。そのルールが理念に沿っていなければ、今やっていることとこれまでやって来たこととの一貫性が失われてしまいます。その状態では、理念の浸透を図るワークショップのようなことをしても、浸透は難しいでしょう。
4:働きがいを高めるにはまず何をすればよいのか?
組織によって課題はバラバラで共通の答えはない。スタートは自社の状態の可視化から
橋屋:なるほど、ありがとうございます。とてもよく理解できました。最後に伺いたいのは、では働きがいを高めるためには、まず何から始めればいいのでしょうか。
植田:働きがいが高められない理由や課題は、組織ごとにバラバラです。まず自社の状態を可視化することからスタートすべきだと思います。
GPTWでは、マネジメントと従業員との間に「信頼」があり、一人ひとりの能力が最大限に生かされている会社を「働きがいのある会社」と定義した「全員型『働きがいのある会社』モデル」があります。信頼を形成する要素は「信用」「尊重」「公正」「誇り」「連帯感」の5つからなり、私たちはこの要素を基にした項目、説問を用意して、モデルに照らし合わせて可視化をお手伝いします。
自社の従業員の思いや考えを可視化できると、経営者と従業員とのコミュニケーションを増やしたいとか、社内全体が連帯感を感じられる仕組み作りをしたいとか、仕事を通じた社会貢献が感じられるような制度を作るといった、次に進むべき方向が分かってくるのではないかと思います。
橋屋:企業の自己認識と実態とのギャップの例として、よくあるケースというのはあるのでしょうか。
植田:よくあるのが、経営管理者層やトップ層と、一般従業員との意識の隔たりです。調査の結果を数値で示すと「ここまで感じていることが違うのか」と、ショックを受ける経営者の方も多いです。
橋屋:自分たちだけでは分かりにくいところなのですね。
植田:経営層とメンバー層の縦のコミュニケーションや、同僚や部署同士での横のコミュニケーション、さらに縦横が交差した斜めのコミュニケーションといった、各方向のコミュニケーションの不足が可視化されることで、ショックと同時に「うすうす気づいてはいたが、やはりコミュニケーション不足だった」と気づかれる企業が多いです。
互いの思いを言語化したうえで、いかにコミュニケーションを取れるかが人材定着のカギになる
橋屋:今日伺った組織適応のところも、コミュニケーションをいかに自律的に走らせるかというお話だったと思います。コミュニケーションは働きがいを考えるときのキーワードとしてつながりますし、重要なアクションになりえるということですね。
これまで企業視点の働きがいについてお話を伺いましたが、個人ごとのやりがいのイメージはさまざまあると思います。植田さん個人のやりがいはどのようなところにありますか。
植田:私としては、企業が提供するサービスの目指す社会の姿に自分が共感できるか、人生のなかで多くの時間を過ごす職場の仲間が信頼できるかどうか、という2つが個人的なやりがいの源泉になっています。
橋屋:私は、立場上メンバーを受け入れる側になることが多いので、自分が管掌する事業に携わるメンバーが成長したり、メンバーと一緒に事業の目標を達成した瞬間のうれしさですね。あとは会社としてもキーワードになっている「最適挑戦」もあります。本当に一生懸命頑張るとちょうど達成できる程度の目標に向かっていくのが、一番パフォーマンスを高くできると思っていまして、高すぎず低すぎない難易度の仕事に向かって行けるところがやりがいになっています。
話をしながら、企業の働きがいと個々人のやりがいの方向性をそろえるためには、企業はどういうスタンスでいるべきなのかという疑問が出てきました。私としては方向性の向きを変えずに一貫性を持たせること、そのうえで矢印の幅を太くしてある程度の多様性を確保するというところになると思いましたが、植田さんはいかがでしょうか。
植田:働く人の価値観は人それぞれなので、違いも含めて共有することが多様性において重要ではないでしょうか。その中でも会社共通のコアの価値観については、会社と従業員双方でコミュニケーションをとることが大切です。
橋屋:そこもやはりコミュニケーションですよね。人材が定着する組織を作るために、コミュニケーションを欠かさないことがいかに重要か、植田さんとの対談を通じてよく理解できました。本日はありがとうございました。