伊藤レポートとは?概要と人的資本との関連性を解説

コーポレートガバナンスや人的資本経営を理解する際に参照される「伊藤レポート」。今回は、伊藤レポートの内容を概観し、さらにこのレポートが提唱する人的資本と経営の関連性について解説します。自社の施策に取り入れるためのヒントもまとめていますので参考にしてみてください。

伊藤レポートとは経済産業省が公表した報告書の通称

伊藤レポートとは、2014年8月に経済産業省が公表した、あるプロジェクトの報告書の通称です。プロジェクト名は、「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」で、その座長を務めた一橋大学大学院商学研究科教授(当時)・伊藤邦雄氏の名前に由来しています。これまでに5つのレポートが発表されており、いずれも日本企業が持続可能な成長を実現するための、企業経営の革新を提唱しています。

伊藤レポートが作成された背景には、2000年代以降の日本企業の競争力低下や、グローバル市場における地位の低下があげられます。日本企業は高い技術力を持ちながらも、経営の効率化や戦略の明確化が遅れていると指摘されています。そのため、伊藤レポートでは、持続的な成長を目指すための新しい経営モデルの導入の必要性が提起されています。

伊藤レポートには、下記6つの基本メッセージが掲げられています。

・持続的成長の障害となる慣習やレガシーとの決別を
・イノベーション創出と高収益性を同時実現するモデル国家を
・企業と投資家の「協創」による持続的価値創造を
・資本コストを上回る ROE を、そして資本効率革命を
・企業と投資家による「高質の対話」を追求する「対話先進国」へ
・全体最適に立ったインベストメント・チェーン変革を

引用:経済産業省「「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」プロジェクト(伊藤レポート)」

人材版伊藤レポートも公表されている

2020年9月に経済産業省が公表した人材版伊藤レポートは、2014年8月に公表された伊藤レポートをさらに進化させたものです。人材版伊藤レポートは、企業の持続可能な成長と収益性の改善を実現するための人材戦略に焦点を当てています。企業価値の向上に寄与するために、どのように人材を活用し、育成し、最大限に活かすかについて具体的な指針を示しています。

人材版伊藤レポートとは

人材版伊藤レポートは、企業が持続的な成長を遂げるためには、優れた人材戦略が不可欠であるという認識に基づいています。具体的には、企業価値の向上や収益性の改善を実現するための人材戦略がまとめられており、企業が人材をどのように管理・育成し、最大限に活用するかについての施策が提案されています。

伊藤レポートとの違い

伊藤レポートと人材版伊藤レポートには、目的や内容においていくつかの違いがあります。

まず、伊藤レポートは主に企業と投資家の協創に関する内容に焦点を当てています。この報告書では、企業が持続可能な成長を遂げるためには、投資家との良好な関係を構築し、長期的な視点での経営を行うことが重要であるとされています。

一方で、人材版伊藤レポートは企業の持続可能な成長を実現するための人材戦略に特化しています。人材版伊藤レポートでは、企業がどのようにして人材を最大限に活用・育成し、企業価値の向上につなげるかについての具体的な施策が提案されています。人材の可視化と情報開示、人材育成とキャリア開発、多様性と包摂性の推進などがその一例です。

人材版伊藤レポートにおけるステークホルダー別の役割

人材版伊藤レポートでは、企業の持続的な成長と競争力の向上を実現するために、さまざまなステークホルダーが果たすべき役割が明確に示されています。ここでは経営陣、取締役会、投資家の3つに分けて、それぞれの役割と具体的なアクションを詳しく解説します。

経営陣の役割

・企業理念、企業の存在意義(パーパス)や経営戦略の明確化
企業理念や存在意義、企業文化を明確化させることで、競合優位性を自覚することができます。また、従業員に共通した価値観を統一させるための軸にもなります。

・経営戦略と連動した人材戦略の策定・実行
経営戦略における目標を達成する上で、必要となる人材を洗い出します。経営資源・人材を可視化させた上で、現状とのギャップを埋めるための施策(採用や育成)を実施することが必要不可欠です。

・CHROの設置・選任、経営トップ5Cの密接な連携
経営戦略と人材戦略の連携を図るために、人事部門の最高責任者であるCHROを設置することが必須です。また、5C(CEO、CHRO、CSO、CFO、CDO)の経営陣との連携を図り、人材・戦略・財務・ITなどの知識を集約して、経営戦略を立てることが求められます。

・従業員・投資家への積極的な発信・対話
従業員が自身の仕事に対して納得感を持てるよう、経営陣は自社の経営戦略について、社会にどのような形で貢献できているか説明することが重要です。また、投資家に対して、自社の経営戦略・人材戦略の進捗や成果との関連性について対話する機会を設けることも欠かせません。

取締役会の役割

・人材戦略に関する取締役会の明確化
人材戦略の進捗状況について、定期的に取締役会を開き、議論を進めることが必要です。

・人材戦略に関する監督・モニタリング
取締役会は、経営陣の人材戦略が適切に実行されているかを継続的にモニタリングする必要があります。これには、経営陣が設定した人材育成目標の達成状況や、人的資本の効果的な活用状況を評価することが含まれます。

投資家の役割

・中長期的視点からの建設的対話
投資家は、短期的な利益追求ではなく、中長期的な視点での投資を行うことが求められています。これにより、企業の持続的な成長を支援することができます。具体的なアクションとして、長期投資方針の策定や、ポートフォリオの見直しがあげられます。

・企業価値向上につながる人材戦略の「見える化」を踏まえた対話、投資先の選定
投資家は、企業の人的資本を適切に評価し、投資判断に反映させる必要があります。これには、企業が開示する人的資本関連情報を分析し、企業の成長ポテンシャルを評価することが含まれます。

出典:経済産業省「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書~人材版伊藤レポート~(概要)」

人材版伊藤レポートで示されている3つの視点と5つの共通要素

人材版伊藤レポートは、企業が持続可能な成長を遂げるために必要な人材戦略を具体的に示しています。特に、3つの視点と5つの共通要素を重視し、これらを実行することで企業の競争力を高めることを目指しています。

ここでは、それぞれの視点と共通要素について解説します。

人材戦略における3つの視点

人材戦略における3つの視点は、経営戦略と人材戦略の連動、As is-To beギャップの定量把握、企業文化への定着です。それぞれについて詳しく解説します。

経営戦略と人材戦略の連動

人材戦略は経営戦略と連動する必要があります。企業が成長し続けるためには、経営戦略と一致した人材戦略を策定し、実行することが重要です。これにより、経営目標を達成するために必要なスキルや人材を確保し、効果的に活用することが可能になります。

具体的な例として、事業拡大を目指す企業が新市場への進出を計画する際、現地の市場環境に適したスキルを持つ人材を採用・育成することがあげられます。人材戦略が経営戦略と連動することにより、企業は戦略的な目標を効率的に達成でき、競争力を維持するようになります。

さらに、経営戦略と人材戦略の整合性を保つことで、従業員のモチベーションが向上し、企業全体のパフォーマンスが高まることを期待できます。

As is-To beギャップの定量把握

現在の状態(As is)と目指すべき状態(To be)のギャップを定量的に把握することが重要です。これにより、企業は自社の現状を正確に評価し、必要な改善点や強化すべきポイントを明確にすることができます。ギャップを定量的に把握することで、戦略的な意思決定がしやすくなり、リソースの適切な配分が可能になります。

例えば、技術革新が進む中で、従業員が持つスキルと最新技術の間にどのようなギャップがあるかを定量的に評価し、適切なリスキルプログラムを導入することが求められます。

また、ギャップ分析は業績向上や新規事業開発における重要な指針となり、企業全体のパフォーマンス向上に寄与します。さらに、ギャップを継続的にモニタリングすることで、変化する市場環境や技術進歩に迅速に対応できるようになります。

企業文化への定着

人材戦略を企業文化に定着させることが不可欠です。新しい人材戦略が導入されても、企業文化に根付かなければ、その効果は持続しません。従業員が企業の価値観やビジョンに共感し、一体感を持って働くことができる環境を整えることが重要です。これには、企業のミッションやビジョンを明確に伝え、全従業員がそれを理解し、日々の業務において実践できるようにすることが含まれます。

具体的な取り組みとして、経営層が率先して企業文化を体現し、従業員とのコミュニケーションを密に行うことがあげられます。

さらに、定期的なワークショップやチームビルディング活動を通じて、企業文化の浸透を図ることも効果的です。企業文化が定着することで、従業員のモチベーションが向上し、離職率の低下や生産性の向上につながります。

加えて、企業文化が強固であることで、従業員は困難な状況でも一丸となって対処し、持続的な成長を支える基盤が強化されるはずです。

人材戦略に共通する5つの要素

人材戦略に共通する5つの要素は、動的なポートフォリオ、知・経験のD&I、リスキル・学び直し、従業員エンゲージメント、時間や場所にとらわれない働き方です。下記で詳しく解説します。

動的なポートフォリオ

人材戦略においては、動的なポートフォリオの構築が重要です。これは企業が持つ人材を柔軟に配置・再配置し、変化するビジネス環境に迅速に対応できる体制を整えることを意味します。動的なポートフォリオにより、企業はその時々のニーズに応じて最適な人材を最適なポジションに配置することができます。

例えば、新規プロジェクトを立ち上げる際に、必要なスキルを持つ人材を迅速かつ適切に配置することで、プロジェクトの成功率を高めることができます。

また、既存のプロジェクトにおいても、進捗状況や課題に応じて人材の再配置を行うことで、効率的なリソースの活用が可能になります。このような柔軟な人材配置は、企業が市場の変化や新たなビジネスチャンスにスムーズに対応するための重要な戦略です。

知・経験のD&I

ダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(受容)をモットーに、知識や経験の多様性を尊重し、包摂することが求められます。多様な背景や視点を持つ人材が協力することで、革新的なアイデアや解決策が生まれやすくなります。このような環境は、企業の競争力を高めるだけでなく、従業員一人ひとりの成長にも寄与します。

具体的には、異なる業界からの人材を積極的に採用し、異なる視点からの意見を取り入れることで、組織全体の創造性を向上させることができます。

さらに、社内での異文化交流やチームビルディング活動を通じて、従業員同士のコミュニケーションを促進し、相互理解を深めることも重要です。多様性を持つチームは、複雑な問題に対しても柔軟に対応し、斬新なソリューションを見つける能力が高いとされています。

リスキル・学び直し

急速に変化するビジネス環境に対応するためには、従業員のリスキル(再スキル習得)や学び直しが必要不可欠です。これにより、従業員は新しい技術や知識を習得し、企業の競争力を維持・向上させることができます。リスキルと学び直しは個々の従業員が市場の変化に適応するだけでなく、企業全体の柔軟性と持続可能性を高めるための重要な手段です。

具体的な施策として、定期的な研修プログラムやオンライン学習プラットフォームの導入が効果的です。これらのプログラムにより、従業員は自分のペースで学習できる環境が整い、最新の技術や業界動向に常にアクセスすることができます。

また、従業員のスキルレベルに応じたカスタマイズされた研修内容を提供することで、学習効果を最大化することが可能です。

従業員エンゲージメント

従業員のエンゲージメント(職務満足度や組織への貢献意欲)を高めることも重要な要素です。高いエンゲージメントを持つ従業員は、企業の目標達成に積極的に貢献し、離職率の低減にも寄与します。

具体的な取り組みとして、定期的なフィードバックやキャリアパスの明確化、働きがいのある職場環境の整備があげられます。

また、従業員の意見やアイデアを積極的に取り入れ、彼らの声を反映した経営を行うことも重要です。これにより、従業員は自分の存在価値を感じ、組織への帰属意識が高まります。

時間や場所にとらわれない働き方

時間や場所にとらわれない柔軟な働き方の導入が求められます。テレワークやフレックスタイム制度などを導入することで、従業員はより効率的に働くことが可能になり、ワークライフバランスの向上にもつながります。柔軟な働き方は従業員のストレスを軽減し、仕事への満足度を高める効果もあります。

具体的な施策として、リモートワーク用のITインフラの整備や、成果主義の導入が効果的です。また、従業員が自宅やカフェなどの多様な場所から業務を遂行できるようにするためのモバイルデバイスの支給や、クラウドベースのツールの導入も重要です。

さらに、定期的なオンラインミーティングやバーチャルイベントを通じて、従業員同士のコミュニケーションを促進し、チームの一体感を維持することも不可欠です。これらの取り組みにより、従業員は働く場所や時間に柔軟性を持ち、個々のライフスタイルに合わせて働けるようになります。

人材版伊藤レポートを受けて人的資本経営が注目されている

人材版伊藤レポートは、企業が持続的な成長を遂げるために必要な人材戦略の重要性を強調しています。このレポートを受けて、人的資本経営が注目されています。人的資本経営とは、企業が従業員の能力や知識、経験を最大限に活用し、企業価値の向上を図る経営手法です。これにより、企業は競争力を高め、変化する市場環境に迅速に対応することができます。

人的資本経営のメリットとして、生産性の向上があげられます。従業員のスキルアップやキャリア開発を促進することで、個々の生産性が向上します。定期的な研修や教育プログラムの充実により、最新の知識や技術を業務に活かすことができるようになります。

また、従業員のエンゲージメント向上も人的資本経営のメリットのひとつです。従業員が自分の成長を感じられる環境を整えることで、仕事に対するモチベーションやコミットメントが高まります。結果として離職率の低下や従業員の定着率の向上が期待できます。

さらに、イノベーションが促進される点も人的資本経営の重要なメリットです。多様な背景やスキルを持つ人材を積極的に採用・活用することで、新しいアイデアや視点が生まれやすくなります。ダイバーシティ&インクルージョンの推進により、革新性が高まり、企業の競争力が強化されます。

ほかにも、組織文化が強化される点も人的資本経営のメリットとしてあげられます。オープンなコミュニケーションを促進し、従業員の意見を尊重する組織文化を醸成することで、社員同士の信頼関係が深まります。組織全体の一体感が高まり、協力体制が強化されます。

人的資本経営で企業が得られるメリット

企業が持続的な成長を遂げるためには、従業員の能力やスキルを最大限に活用する人的資本経営が重要です。人的資本経営は、従業員一人ひとりの能力を可視化し、最適な配置を行うことで、企業全体の生産性向上やブランド力アップを実現する手法です。

ここでは人的資本経営によって企業が得られる具体的なメリットについて詳しく解説します。

従業員の能力の見える化

人的資本経営の第一のメリットは、従業員の能力の見える化です。従業員のスキルや経験を可視化することで、企業は適材適所の人員配置を行うことができます。これにより、各従業員の強みを最大限に活かし、組織全体のパフォーマンスを向上させることが可能です。例えば、あるプロジェクトにおいて特定のスキルが必要な場合、そのスキルを持つ従業員を迅速に特定し、適切な役割に配置することで、プロジェクトの成功率を高めることができます。

また、従業員のスキルギャップを明確にすることで、必要な研修や教育プログラムを計画的に実施し、スキルアップを図っていくことも重要なポイントです。従業員のエンゲージメントが向上し、企業に対する忠誠心やモチベーションが高まる効果も期待できます。結果として、離職率の低下や従業員満足度の向上が期待できるはずです。

生産性向上

人的資本経営において、人材への投資は非常に重要です。企業が教育・研修プログラムに投資し、従業員のスキルアップを促進することで、一人ひとりのパフォーマンス向上が期待できます。結果として企業全体の生産性向上につながることを見込めます。

例えば、新しい技術や知識を習得するための研修プログラムを提供することで、従業員は自らの業務に直結するスキルを習得し、効率的に仕事を進めることができます。また、キャリア開発の支援を通じて、従業員が自分の成長を実感できる環境を整えることで、彼らのやる気を引き出し、高い成果を出すことができるようになります。

さらに、従業員のスキルアップが進むことで、企業は新しいビジネスチャンスに迅速に対応できるようになります。市場環境が急速に変化する中で、従業員の成長とともに企業も進化し続けることが重要です。企業は競争力を維持し、持続的な成長を遂げることが可能になります。

ブランド力アップ

人的資本経営は企業のブランド力を向上させる効果もあります。従業員の成長を支援し、働きやすい環境を整えることで、社外からの評価が高まり、企業のブランドイメージが向上します。これには採用活動や投資活動におけるメリットが含まれます。

まず、人的資本経営を実践している企業は従業員を大切にし、成長を支援する姿勢を示せることで、求職者から魅力的な職場として認識されます。これにより、優秀な人材が集まりやすくなり、企業の競争力がさらに強化されます。特に若手の優秀な人材は、成長機会や働きやすさを重視する傾向があるため、人的資本経営を行う企業は採用面で大きなアドバンテージを持つことができます。

さらに、人的資本経営は投資家からの評価にも直結します。企業が従業員の成長を支援し、持続的な成長戦略を実践していることが明確になると、投資家はその企業に対して高い評価を与えます。これは企業の長期的な成長性や安定性を示す指標として重要です。結果として、投資家からの信頼を得ることで、投資額が増加し、企業の資金調達が容易になる可能性も高まります。

まとめ

今回は伊藤レポートの概要と人的資本との関連性について解説しました。人的資本経営は、企業が従業員の能力やスキルを最大限に活用し、持続的な成長を実現するための重要な手法です。従業員の能力の見える化により最適な人員配置を行い、生産性を向上させ、企業のブランド力を高める効果があります。

優秀な人材の確保や投資家からの信頼を得ることにつながり、企業の競争力強化を見込めます。人的資本経営の視点を積極的に取り入れ、従業員の成長を支援することで、持続的な成長を目指してみてはいかがでしょうか。

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