どうも、シンゲキ株式会社の代表菅澤です。
今回のお話は、シンゲキ株式会社に在籍する
■代表菅澤の高校/大学の同級生でもあり
■インターン生として業務にあたり
■シンゲキ株式会社創業メンバーでもあり
■詰められすぎて一時退職をするも
■シンゲキ株式会社に復帰→人事部主任
となった稲葉 元輝君(以降、稲葉さん)にインタビューしていこうと思います。
なかなか情報量が多いですね。
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今回の記事は
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✅ インターンを考えている大学生
✅ シンゲキ株式会社への転職を考えている方
✅ 若くしてベンチャー企業で活躍したい方
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に非常に参考になる内容かと考えております。
ぜひ最後までご覧ください。
どうぞよろしくお願いいたします。
代表:菅澤孝平
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稲葉さんのこれまでの経歴について教えてください。
Q:稲葉さんのこれまでの経歴について教えてください。
A:千葉県松戸市生まれ。今も千葉県松戸市を愛し、千葉県松戸市に住んでいます。千葉県松戸市はつけ麺とネギがおいしい街ですのでぜひ千葉県松戸市にお越しください。現在、モカとコロンという犬を2匹飼っています。とってもかわいいです。
中学・高校ともに麗澤中学校・麗澤高校という私立一貫の学校に通っていました。
高校1年生時に代表の菅澤が高校受験で麗澤高校に入学してきた際に認知をした形です。
高校生時代の代表菅澤と稲葉さんの関係とは
Q:その後代表の菅澤とはどのような形で知り合ったのでしょうか。
A:高校1年生時から認知はしていましたが、クラスが違ったのでそこまで親交はありませんでした。高校2年生時にクラスが一緒になり代表が学級委員、私が文化祭実行委員という形で、その頃から協力関係にありましたね。そこから高校3年生までクラスが一緒だったこともあり、文化祭や体育祭といったイベントや何気ないランチや授業まで共に参加していましたね。
稲葉さんと代表菅澤の思い出
※麗澤高校時の修学旅行にて
Q:稲葉さんの思い出に残っている代表菅澤とのエピソードはありますか。
A:負けず嫌いなことでしょうか…?w。私と菅澤は現代文の授業が同じであり、私が特に現代文が得意でした。ちょうど菅澤が隣の席だったこともありテストが配られるたびに「何点なのか」を聞いていましたが菅澤は自分の点数が低いと点数すら見せてくれず、拗ねることが多かったです。
私はその様子が面白おかしく都度からかっていました笑。
代表菅澤と稲葉さんの大学生時の動向
※大学に受かった稲葉さんと菅澤の食事風景
Q:その後稲葉さんと代表菅澤が大学に進学されたかと思いますがどのような動向・背景があったのでしょうか。
A:結論から言うと私は明治大学経営学部、代表の菅澤は明治大学政治経済学部に進学しました。
しかしながら私は1年遅れての入学です笑。浪人をして河合塾に通っていました。
それこそ、受験年の12月頃に菅澤が「明治来いよ」とSMSで連絡をくれて(当時全てのアプリを遮断していたので連絡手段がSMSしかなかったのです)、そこから奮起をすることになりました。
当時の私は駿台に通うも半年近くはカラオケに入りびたり気づいたらプラチナ会員になるという快挙を成し遂げていました。MARCHを当時は志望していましたが、日東駒専ぐらいでいいかなと諦めていたころ、そのSMSが来たので「頑張るしかないな」と思い、行動に移し見事明治大学経営学部に受かりました。
大学生になってから
※大学生となり金髪にした稲葉さん
Q:大学生になってから稲葉さんはどのようなことをされたのですか。
A:大学生になってから代表の菅澤と同じサークルに入りました。明治大学専門のメディアを運営する学生団体です。シンゲキ株式会社の現CHROが当時の学生団体を立ち上げ、代表の菅澤が追って入り、私は代表の菅澤を追って入った、といった関係です。
どうしたらWEBサイトのPVが増えるのか?どうしたらSNSが伸びるのか?を常に試行錯誤し続けていましたね。学生団体というよりかは企業にちかい活動をしていたと思います!
その後、代表の菅澤が起業。
Q:その後代表の菅澤が今のシンゲキ株式会社を起業したと思います。稲葉さんはどのような関わり方をされたのでしょうか。
A:代表菅澤が起業した直後は、代表菅澤がWEBサイト運営からYouTube運営まで全てを行えたので、直後に私が関わることはありませんでした。
どちらかという事業が半年後ぐらいに軌道に乗り「代表一人では生徒を抱えられない」となり、私が最初の塾講師としてジョインをした形です。最初ですからマニュアルもシステムも何もなく(笑)。何もない所から何かを作る楽しさはありますが、その分大変でしたね(笑)
その後、塾講師としてだけではなく「YouTube運営」に携わるなど「数字」を目標値に置き、業務にあたっていきました。
しかし…地獄の日々
※創業時に代表の菅澤と共同生活をしていたころの写真。とっちらかっている始末。
Q:しかし、時には大変になることがあったと思います。創業時の企業は大変ですからね…。何かそのような出来事はありましたか。
A:そうですねww。とにかく創業時ですから「結果を出さないといけません」。しかしながら代表菅澤が求めるクオリティに途中でついていけないことがありました。僕のアウトプットに更なるアウトプットを求める代表…という構図で途中から自分はモチベーションが低下してしまい…。
かねてから行きたかった海外で自分を見つめ直すという意味でも、一度シンゲキ株式会社から離れ、オーストラリアに1年間生活することを決めました。
その後、シンゲキ株式会社に復帰
Q:しかし、その後シンゲキ株式会社に稲葉さんは戻られたわけですがどのような背景があったのでしょうか。
A:それこそオーストラリアに移住後、代表菅澤から夜中の3時に電話があったのです。夜中の3時ですから僕としては「なにかやらかしたかな」「なにか引継ぎし忘れたかな」と不安になりましたが、さすがに夜遅かったので電話に出るのはやめました。翌朝以降にやり取りをして代表菅澤から謝罪の言葉があり、僕自身も自分を見つめ直す機会をオーストラリアでつくっていましたから自分の反省点含めお話をして、和解をすることができました笑。
オーストラリアから帰国後オフィスに寄った時菅澤から「もう一度働いてみないか」「日本一の会社を創らないか」とお話があり自分自身としても再度「挑戦がしたい」ということで再度ジョインという選択肢を取りました。
現在の業務内容
Q:現在シンゲキ株式会社ではどのような業務にあたっているのでしょうか。
A:主に人事系の業務・SNS系の業務にあたっています。それこそインターン生を採用したり、塾講師採用のための戦略を練り実行に移したり…。それ以外には新規事業の立案施行までを行っています。本当に毎日シンゲキしている状態です。
■Wantedlyを運用したり…。
■SNS運用PJのPMをしたり…。
■採用teamを組成したり…。
■新規事業を推進したり…。
本当に面白いことばっかです。
シンゲキ株式会社に合っている人とは
Q:シンゲキ株式会社在籍年数が多い稲葉さんから見て「シンゲキ株式会社にあっている人」というのはどのような人でしょうか。
A:代表はじめ役員陣の動きが非常に速い会社だからこそ、会社名を体現している会社です。毎日いろいろな刺激や情報が生まれるからこそ「成長したい人」にとっては最適な環境かと思います。
シンゲキ株式会社のCOOは21歳なのですが(直接は指導していないですが、僕が塾講師をしていた際の生徒でしたね)、ここからも分かる通り「昇進に年齢は関係ない」ということが分かるかと思います。
普通の企業で5年かけて経験できることが、3カ月半年1年レベルで経験できるのが良い所ですね。
↓21歳COOに関する記事はコチラ
あとは、とにかく「良い人」が多いなと思います。悪いことをいう人がいないといいますか、愚痴を全く聞かないですね。もちろん、面白おかしく笑い話に昇華することはありますが、皆さん誠実と言いますか、素直と言いますか働いていて気持ちがいいんですよね。
会社がシンゲキするためには共に働くメンバーの関係性が第一ですし、人が良いのは前提なのかもしれませんね。
シンゲキ株式会社でこれから働くメンバーに一言
Q:最後にシンゲキ株式会社で働くメンバーに一言お願いします。
A:特にインターン生は私が上司となりけん引させていただきます。塾講師やその他の専門職種は私ではありませんが学生インターンに関しては私が責任を持って優秀な大学生に育て上げます。
創業時から人事部主任に至るまで数多くの経験をしたからこそ理解できることが沢山あります。全てのプロジェクトに関わり、シンゲキ株式会社をほとんどしっている私だからこそ、これからシンゲキ株式会社で業務をするにあたって不安でいっぱいなアナタを導くことが可能です。
是非シンゲキ株式会社にお越しください。シンゲキ株式会社と共にシンゲキしましょう。
アナタのシンゲキをお待ちしています。
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という形でここまでシンゲキ株式会社人事部主任の稲葉さんをインタビューさせていただきました!
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