ニキビ専門サロンolissのオープンから9年。これまでわたし達はニキビに悩む多くの人に寄り添い歩んできました。2022年8月転機の年、olissの代表が高橋に引き継がれ、今、私たちはふたたびスタートラインに立っています。これまでのANYの歴史や大切にしている思い、そして、代表高橋自身のこれまでの波乱万丈の人生から生まれた教育への思いをこのブログを通し、発信していきたいと思っています。
Interviewer:松橋 佳澄
oliss人事戦略部 部長
2018年株式会社ANYニキビ専門サロンolissに中途入社しました。前職は大手化粧品会社で美容部員として4年間働き、自身も重度のニキビに悩んできた過去から次はメイクで隠す美しさではなく、素顔を綺麗にする仕事に就きたいと思い立ち、転職活動をする中でolissにジョイン。これまで、エステティシャンとしての活躍を経て、店長、マネージャー、そして今人事戦略部部長としてolissの人事・採用・広報に邁進しています。生まれはりんご王国・青森県。東北の粘り強さを強みに、こつこつと企業の認知活動をしていきます!
隣のクラスにライバルのような子がいて、その子の担任からもよく比較されていたんだけど、実はその担任から裏で「髙橋は、勉強しかできないからな。これ、他の生徒のマネしたんじゃないか?」とか言われていたみたいで。
ーえ、それはもう教員からのいじめですよね?
まぁ、あまり気にしていなかったんだけどね。
でも、こういうのがあからさまになってから、人生の分岐点になるような出来事が多々あって。
小学5年生の時にね、連合運動会っていうのが地域であって。川崎市の学校から選抜された生徒達が集まる運動会で、選抜されなかった生徒は当時川崎名物の何かグローブ付けて踊らなくちゃいけない催しがあって、それが子供ながらにすごい恥ずかしくて。
ーちょっと気になります(笑)
けど、運動はできないし、しかも内股だったから走ると自分の足も踏んでしまうくらい運動音痴で足も遅かったし。(笑)あと、やっぱり子供のときってこういうタイプはからかいの対象になりやすいじゃない?だから、いつも他の生徒からのいじめの対象にもなりやすくて。
よく、何しても野次が飛んできたり、呼び出されて「鼻につく」っていう理由で平手打ちされたこともあったな。それくらい、運動はできなかったし、生徒からもいじめにあっていたり(※あとはグローブ付けて踊りたくない 笑)
でも、その時、なんかふっと自分の親のことが頭に浮かんでね。
ーそれはどうしてですか?
当時、母親は子供には勉強ができてほしいっていうタイプで、父親は子供には運動もできてほしいっていうタイプで。だから、特に父親には選抜にも選ばれない運動会なんて見る価値がないっていう風に思われてて。
ー厳しいご家庭だったんですね。
思えば、私って「親にも認められていない」って思ったんだよね。
ーなるほど。。。
だから、当時は誰も私には期待を寄せていない状況だったから、尚更「私は認められたい」って思って。
その時に子供ながらに決意したのが「連合運動会で選手になろう」って思ったんだよね。
ーすごい決断をしましたね。
そこから私の行動が変わって。
当時、選抜メンバーを決めるために学校で朝練習があって、自由参加もできたからそれに参加しようと思って、毎朝5時に起床して、日課でNHKのラジオ体操をして、次に一人で走り込みもして。それで、開門と同時に誰よりも早く学校に行って、さらにグランドも走り込んで。そんな日々を結果3〜4ヶ月くらい継続してさ。
ーよく、一人でそこまでの継続ができましたね。
そしたら、まさかの50m13秒代だった記録が、8秒代になって。
ーえ!それはすごい!
でも、もっと嬉しかったのは、こうやって自分に一心不乱になっていたら、「髙橋、すごーい!!」って褒めてもらえるようになって、どんどん周りの生徒達の反応も変化してきたんだよね。
ーみんな、どこかで明日美さんの努力を見ていたんですね。
それで迎えた運命の選抜会
そこで衝撃だったのが、タイム測定する人がまさかの私のことをよく思っていなかった担任だったんだよね。
ーおぉ・・・
案の定「よーい、ドン」の合図で走り出した結果、言われたのが「髙橋、フライングだ。もう一度走れ」って。要するに「お前がこんなに速いわけがない」って。その人の中で「髙橋は足が遅い」って決めつけられていたというか。自分の結果を信じてもらえなかったんだよね。
ーそれは、私まで悔しくなってきました、それでどうしたんですか?
それで、もう一度走らされたんだけど「フライングをした」って言われてしまったからスタートの時に脳裏にその言葉がよぎって、次は本当にフライングしちゃって。結果、タイムは2位で選抜には選ばれなかったの。
ここまできたらもう本当のいじめだと思ったけどね。
ー明日美さんの努力が水の泡になってしまったような・・・
でも、50m13秒台の運動音痴が、もともと足が早い選抜メンバーに混じって練習した結果2位までになれて。私、この体験がきっかけで自分のこと誇りに思って。
「人間やればできる」
「人は何でもできないことはない」って。
ー 人が自分のことをどう思っていようが、変われたことは紛れもなく自分の努力の賜物ですもんね
だから、この経験がきっかけになって自分自身のマインドにも前向きな変化があった。
「私はもういじめられてても大丈夫。だって、自分が変われば周りもミラーのように変わっていくから」って自信を持って思えるようになって。変化できた自分を誇りに思えるようになったんだよね。
ーあ、理念のミラーの法則の話しですね!
そう。それでそんなこんなで、あっという間に迎えた小学校卒業。中学生に上がってからもいろいろあったんだけど次は引越しすることになってね。
ー次はお引っ越しですか?中学生の頃はまたけっこう派手だと伺っていましたが
そこからまた、私にとっての転機が待っていたんだよね。